週に一度ぐらいにアトランタの娘家族と連絡を取りあう。自分用のスマホのない私は、たまに横から顔を出す。先日私がスマホを持って孫たちに家の内外を撮って見せた。簡易仏壇にさしかかると「般若心経」を思い出したらしく、それを読めと言い出した。たわむれに三人で唱和したことがある。私が経文を片手にぱらぱらめ繰り落としながら一気に読み上げると笑って聞いていた。
私の般若心経の理解は孫たちと同じぐらいなのかもしれない。唱えるお経のリズムの心地よさを楽しんでいる。お経は言葉をもって言葉をこえた世界を表現しようとしているから難解だと言われる。般若心経には無という文字が頻繁に出てくる。あらゆるものを否定する。否定しようとする自分も否定する。これから先に孫たちが仏教に関心を持つことがはたしてあるのだろうか。
とことん否定はニヒリズムにいたる。他の宗教は「人間に生きる喜びと勇気を与えてくれるものでなければならない。だから仏教は正しい宗教ではない」と批判する。しかし否定のどん底で、くるっとひっくりかえってその否定をもう一回否定してみると、この世はこのままで美しく見え、この世はこのままで楽しく見えてくる。「二重否定は肯定」というのはほんとうだろうか。(写真は東村山市の大善院にて)
歌手の菅原洋一さん(86歳)が6月に息子との親子コンサートを開くという。3年ほど前に胆のう摘出手術を受けた氏は、近ごろは自然の摂理や死についてよく考えるという。その記事の中の「死を意味する仏。死の瞬間は苦しいが、その硬直の時間が過ぎれば体も魂も ほどけ やすらぎが訪れるのではないか(笑)」という菅原氏の親父ギャグに誤りがあった。仏とは生きて悟りを開いた人間のことをいう。