「いい夢を見たい」というとき、手に入れたい都合の良い理想的な「現実」のことだろう。このように理想に近い状態のことを指すのではなく、寝ている時に見るあの夢のことである。私が見る夢は例えば約束の期限をズルズル延ばしたりして窮地に陥り、そこで目が覚めるというような夢が多い。
養老先生なら即座に夢とは寝ている時の脳の働きと言うだろう。寝ている時にも脳は途方もない情報を処理しているという。夢から目覚めてそれが記憶に残っているということは、よほど記憶のかけらが濃く集積した結果だろう。(農家の柿と蜜柑)
私の場合、これまでろくな生き方をしてこなかったせいか罪悪感のかけらが処理できないほど脳に集積されてそれが刺激となり、うなされたあげく目覚めるような夢が多い。たまに懐かしい人たちが意味不明な仕方で登場することもある。一度でいいからおだやかな幸せな夢をみたいものだ。
夢といえば荘子の「胡蝶の夢」という故事を思い出す。蝶になって飛んでいる夢を見た、目覚めると荘子である。「自他の区別を超越してしまっている境地」という解釈が一番いいように思う。彼は我であり、我は誰でもである。そう考えると、「なんと真面目にわれわれは生きていることよ」という心境になるのかもしれない。