「偏旁冠脚」を辞書で引くと、「漢字の字体を組み立てている部分の、位置による名称。字の左部にある偏、右部にある旁(つくり)、上部の冠、下部の脚のほか、繞や構えがある」とあった。漢和辞典で「情」を引くと、「心の部」にあった。心は心臓の形を表したもの。
「情は左部が形を表し、右部の靑が音を示す。つまり心のはたらきの清く純粋な要素をいう。性が、人間生まれつきの心であるのに対し、情は外の刺激に応ずる心のはたらきである。喜怒哀楽愛悪欲を七情という」辞書を引くという行為は重層する文化を思い、打ちのめされることでもある。(5月10日のジャガイモの花と柿の若葉、麦畑)
2月26日の朝日歌壇に霧島市・久野茂樹の「美しい人はトイレに行かないと信じ切ってた紅顔の頃」が掲載された。久野さんにしては不出来かな?「女の肌を雪に喩しそのかみの人の孤独をしみじみ思ふ」これは1962年生まれの歌人・荻原裕幸のうた。後者に叙情あり。
穂村弘の「ぼくの短歌」は作者が選んだ短歌について、いろいろな角度からコメントした本である。その中でつぎの2首を比較しつつとりあげていた。「春みじかし何に不滅の命ぞと力ある乳を手にさぐらせぬ」これは情熱の歌人与謝野晶子の歌だ。「もちあげたりもどされたりするふとももがみえるせんぷうき強で回ってる」これは今橋愛(47歳)の歌だ。後者は反情熱的。
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