小さな国は常に利権に絡んだ数々の歴史を歩まされてきた。パナマの歴史も例外ではない。運河はパナマ地峡を開削し太西洋と大平洋を結ぶ要所だったため、アメリカは一方でコロンビアからの独立を支援しつつ、他方ではパナマ運河条約を結び運河の建設権、永久租借権を取得して1914年開通させ、パナマ共和国に正式に返還されたのは1999年だった。(運河と沿って走る鉄道)
鉄道は運河に先立つ1855年に開通し、大西洋岸のコロンから太平洋岸のパナマまでを結んでおり、運河建設の際も重要な役割を果たした。2001年再開された鉄道に乗って1時間余り、車窓からほぼ並行して走る運河や運河上の船、熱帯林の風景を楽しんだ。(熱帯林を思わす向こうに運河をユッタリ渡っている客船)
鉄道を走る貨車は客車と貨車と連結されており長かった。客車のうち2両は天井、側面いずれも透けて見渡せる作りになっていて、冷房も効き快適そのもの。各車両ではカウンター越しに飲み物やおつまみも注文できる仕様になっていた。(窓越しにほぼ180度みわたせる列車内)
各車両のサービスはそれだけではなかった。見所案内。綺麗どころを集めたと思われる笑顔と合唱、小楽器の演奏、オット!忘れてはいけない「お土産」の販売まで付いていたのだ。 彼女らは元々の肌なのだろうが小麦色で健康色、笑顔も自然で嫌味がない。肌が小麦色だからなお目立ったのだが歯が白くて笑顔全体がひとしお輝いて見えた。(カウンター前で舌ベロおじさんと、合唱のサービスをする乗務員。赤シャツの青年はズット船旅を共にした通訳ボランティア・同じ立場の青年達が14~15人いてレクチャーの時も大活躍)