玉川上水の辺りでハナミズキと共に

春は花 夏ほととぎす 秋は月 冬雪さえてすずしかりけり (道元)

66)パナマ運河鉄道車窓

2006年09月18日 | ピースボート世界一周

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 小さな国は常に利権に絡んだ数々の歴史を歩まされてきた。パナマの歴史も例外ではない。運河はパナマ地峡を開削し太西洋と大平洋を結ぶ要所だったため、アメリカは一方でコロンビアからの独立を支援しつつ、他方ではパナマ運河条約を結び運河の建設権、永久租借権を取得して1914年開通させ、パナマ共和国に正式に返還されたのは1999年だった。(運河と沿って走る鉄道)

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 鉄道は運河に先立つ1855年に開通し、大西洋岸のコロンから太平洋岸のパナマまでを結んでおり、運河建設の際も重要な役割を果たした。2001年再開された鉄道に乗って1時間余り、車窓からほぼ並行して走る運河や運河上の船、熱帯林の風景を楽しんだ。(熱帯林を思わす向こうに運河をユッタリ渡っている客船)

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 鉄道を走る貨車は客車と貨車と連結されており長かった。客車のうち2両は天井、側面いずれも透けて見渡せる作りになっていて、冷房も効き快適そのもの。各車両ではカウンター越しに飲み物やおつまみも注文できる仕様になっていた。(窓越しにほぼ180度みわたせる列車内)

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 各車両のサービスはそれだけではなかった。見所案内。綺麗どころを集めたと思われる笑顔と合唱、小楽器の演奏、オット!忘れてはいけない「お土産」の販売まで付いていたのだ。Peace_boat_704 彼女らは元々の肌なのだろうが小麦色で健康色、笑顔も自然で嫌味がない。肌が小麦色だからなお目立ったのだが歯が白くて笑顔全体がひとしお輝いて見えた。(カウンター前で舌ベロおじさんと、合唱のサービスをする乗務員。赤シャツの青年はズット船旅を共にした通訳ボランティア・同じ立場の青年達が14~15人いてレクチャーの時も大活躍)

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2 コメント

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3箇月の航海中にずいぶん多彩な経験をされました... (満を持して)
2006-09-20 06:33:08
3箇月の航海中にずいぶん多彩な経験をされましたね。人間関係的には数年分に相当。元気なうちに、また家庭の事情が許さなければできないことですから、まさに準備万端、満を持して、グッドタイミングの船出だったと思います。非日常の中に日常を、日常の中に非日常を感じとる。さて、次の大きな目標はひそかに?
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根気よく付き合って頂いて有難うございます。じっ... (ねったぼ)
2006-09-21 08:15:35
根気よく付き合って頂いて有難うございます。じっとしていても地球の自転や船の巡航で朝が来、寄港地で降りて様々な見聞をし、又夜が来てといった100日余でした。実感された事は物、人、時、土地でさえうごいていると感じたのです。思いつきで始めた記録ですが、もしこの作業をしていなければ、私の記憶は洋上での書付そのままに散漫なものになっていたろうと思います。本当にいいタイミングでPCの教授を受けたと感謝しきりです。
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