玉川上水の辺りでハナミズキと共に

春は花 夏ほととぎす 秋は月 冬雪さえてすずしかりけり (道元)

葉書の謎

2006年02月04日 | 捨て猫の独り言
 新年早々に独居の知人から葉書が届いた。いつものように読みやすい字が万年筆で書かれている。小林秀雄 「無常という事」 からの引用が書かれていた。引用のあと残り最後の一行に 「29日に人里に下山しました」 とある。住所は茨城から福島に変わっていた。もともと福島の人である。引用されていたのはつぎの箇所だった。

 「生きている人間などというものは、どうも仕方のない代物だ(な)。何を考えているのやら、何を言い出すのやら、仕出かすのやら、自分のことにせよ、他人事にせよ、解った例(し)があったのか。鑑賞にも観察にも堪えない。そこに行くと死んでしまった人間というものは大したものだ。何故、ああはっきりとしっかりとしてくるのだろう。まさに人間の形をしているよ。してみると、生きている人間とは。(人間になりつつある一種の動物かな)」 ( )は私があとで本を見て追加したもの。

 「無常という事」 を引っぱり出してきて読んでみたらつぎの箇所に目がとまった。《 解釈を拒絶して動じないものだけが美しい、これが宣長の抱いた一番強い思想だ。解釈だらけの現代には一番秘められた思想だ 》

 謎をかけられてどうも落ち着かない。常なるもの=定型こそが美しい。無常とはふつう私たちは死者のことをさす。それは逆で生者の方こそ常ならぬ存在ではないか。生者は常なる者であることは難しい。この読みとりでいいのだろうか。もうしばらく 「無常という事] を読みこんで謎解きを続けてみることにする。

 

コメント
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