娘がころがりこんできた。それは去年の10月のはじめだった。窮鳥懐に入るだ。つわりがひどいという。あいにく母親は長旅に出ている。自活するのだと娘が家を出てアパート暮らしを始めて2年近くたっている。私は娘が迎えている今の状況をすべて受け入れよう、祝福してやろうと思った。遠慮のない娘で激しく親と衝突したりもした。天晴れなほど我を通した。どんな結婚をするのか、しないのか少しばかり気になっていた。
アパートを引き払うという。新居が決まるまで荷物を預かることになった。私の寝室は物置状態である。それでもよっかった。最初は週末だけの帰宅だったが、そのうち完全に我が家からの出勤になった。出もどりである。年若いアメリカの青年が時々訪れて一緒にビデオで映画を見た。新しい息子に手作りの料理も食べてもらった。一度は三人で病院に行った。あのとき私は何も求めなかった。素直に生活を楽しんでいた。娘が安定した精神状態でいることを望んだ。
いつのまにか、つわりも治まった。母親も長旅から帰った。クリスマスの頃アメリカの母親をまじえて、我が家で食事会を開いたりした。ついに若い二人の新居も決まり我が家にあった荷物もそちらへ移された。再び私たちにはもとの静かな生活が戻った。あのとき私は、いさぎよくすべてをあるがままに受け入れて生きたと思う。それはそれでよかった。私にしてはいいできだった。当然ながらあのときのことはもう二度と戻らない。とかくこの世は常ならずである。
アパートを引き払うという。新居が決まるまで荷物を預かることになった。私の寝室は物置状態である。それでもよっかった。最初は週末だけの帰宅だったが、そのうち完全に我が家からの出勤になった。出もどりである。年若いアメリカの青年が時々訪れて一緒にビデオで映画を見た。新しい息子に手作りの料理も食べてもらった。一度は三人で病院に行った。あのとき私は何も求めなかった。素直に生活を楽しんでいた。娘が安定した精神状態でいることを望んだ。
いつのまにか、つわりも治まった。母親も長旅から帰った。クリスマスの頃アメリカの母親をまじえて、我が家で食事会を開いたりした。ついに若い二人の新居も決まり我が家にあった荷物もそちらへ移された。再び私たちにはもとの静かな生活が戻った。あのとき私は、いさぎよくすべてをあるがままに受け入れて生きたと思う。それはそれでよかった。私にしてはいいできだった。当然ながらあのときのことはもう二度と戻らない。とかくこの世は常ならずである。