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『インドネシアの絣( イカット) 』-イカットのプロセス〈Ⅲ 〉- 富田和子

2017-08-21 09:37:15 | 富田和子
◆[ 図1 フローレス島の腰機]( 作図工藤いづみ)

◆フローレス島


 ◆高床式住居と巨石墓 スンバ島

◆家の床下で織る スンバ島

◆ティモール島

◆自動織機 スマトラ島

◆高機 スマトラ島

2006年10月10日発行のART&CRAFT FORUM 42号に掲載した記事を改めて下記します。

『インドネシアの絣( イカット) 』-イカットのプロセス〈Ⅲ 〉- 富田和子

 ◆シンプルな腰機の構造
 腰機は、いざり機、原始機、後帯機などとも呼ばれている。経糸密度を調整する「筬」の無いもの、有るもの、機台を備えて経糸を長く掛けることが出来るもの、さらに長い経糸を板に巻き取るようにしたものなど、腰機にもいくつかの種類と段階があるが、ヌサ・トゥンガラ地方の東部では、筬が無く経糸を輪の状態にして掛ける最も原始的といわれる腰機を使用している。数本の棒を用いただけのいたってシンプルな織機ではあるが、イカットを織るのにはとても適している。

 腰機の構造は、各島によって多少の違いは見られるが基本的には図のようである。
① 輪状の経糸に2 本の棒( B とG ) を入れる。経糸は2 本の棒の間で上下二層になっている。
② 先端の棒( G) は地面に打った杭や家の柱を利用したり、専用の支柱に取り付けて固定する。
③ 手元の棒( B) は、1 本の棒で布を固定しないものと、2 本の棒で布を挟み固定するものや、太い棒に溝を掘り、細い棒をはめ込んで布を挟み固定するものなどがある。
④ 手前の棒( B) の両端に紐で腰当てを取り付ける。腰当て( A) は木製、革製、椰子の葉を組んで作ったものなどがある。
⑤ 緯糸を通すための経糸の開口は綜絖(D) と 中筒(E ) によって行う。
⑥ 中筒( E) には竹や木の棒を用い、中筒を入れることによって隣合う経糸を上下に分けている。
⑦ 綜絖は、中筒の下を通る経糸に対して別糸で取り付け、細長い木の棒( D) に掛けておく。この綜絖を
持ち上げることにより、下に沈んだ経糸を引き上げて緯糸を入れる開口部分を作る。
⑧ 棒( F) は、経糸全体を押さえ、綜絖開口を操作しやすくするための押さえ棒である。
⑨ 緯糸を入れるための抒(Ⅰ) は、細長い棒に緯糸を巻きつけて使用する。
⑩ 刀抒( C) は、経糸に差し込み開口を保つことと、この開口部に入れた緯糸を打ち込むためのもので、
堅く重い木を用い、片側を刀状に削ってある。

 インドネシアでは、一般的に戸外で織っているので、その日の作業を終えると、先端の棒を支柱からはずし、そのままクルクルとたたんで、家の中にしまう。また、急に雨が降ってきた時などは、織っている途中でもたたんで持ち運びができる便利なものである。

 ◆ 織り手の身体が機( はた) と一体になる
今でもイカットが盛んに織られているヌサ・トゥンガラ諸島の東部の島々。そのうちの一つ、スンバ島は、巨石文化と伝統的な高床式住居でも有名である。現在はキリスト教を信仰しているスンバ人だが、古来からのアニミズムに基づく伝統習慣も根強く残されていて、かつての王国だった村には、巨石墓と共に独特のとんがり屋根を持つ住居の集落が見られる。
 そんなスンバ島のイカットは、精霊信仰の象徴として人物や動物などの具象的模様が特徴で、人や動物が自由に生き生きと表現されている。村では高床式の家の床下でイカットを織っていた。灸天下であっても、床下は心地良い日陰を提供してくれる。どっしりとした家の柱を利用して、織機が備え付けられていた。輪状の経糸の両端に太い竹の棒を差し込み、先端の棒は柱と柱の間に渡し、手前の棒は紐を付けて腰当てとつなぐ。腰当は木製の大きなもので、腰の当たる部分にクッションが付けられていた。地面にござと座布団を敷き、両足を前に伸ばして腰をおろす。両足の前の地面には杭が打ってあり、足を支えるための板が立てかけてあった。
 腰機は、織り手が腰で経糸の張り具合を調節しながら織るところに特徴がある。中筒開口の時に
はこの板に足を乗せて踏ん張り、腰を引き、経糸をしっかりと張って開口する。綜絖開口の時には膝を曲げて腰を浮かせ、経糸を緩め、綜絖を引き上げて開口する。スンバ島では手元の棒は1 本で、経糸は固定されずクルクルと回る状態になっている。綜絖開口をする時には、操作しやすいように経糸全体を手前に引き寄せて緯糸を入れ、打ち込む時には上に押し上げ、刀抒で勢い良く打ち込んでいる。このようにして中筒開口と綜絖開口を交互に繰り返し、緯糸を入れ、刀抒で打ち込み、輪状の経糸を回しながら、織り手はからだ全体を使って機と一体になり、リズミカルに布を織り進んでいく。

◆経縞や無地との組み合わせ
 ヌサ・トゥンガラ諸島の東端の島、ティモール島を訪れた時のことである。移動中、戸外で作業をしている姿を見かけ、バスを降りた。村の広場の日除けの下で、母と娘が二人で整経をしていた。経絣と縞を組み合わせた布の整経だった。日除けを支える太い柱と地面に打ち込んだ3 本の杭を利用して、整経台ができていた。柱とそれに並ぶ太い杭には紐を掛け、棒を通してある。手前の細い棒には窪みが付けてあり、杭と棒とを噛み合わせてあった。
 スンバ島以外の他の島々では、経絣と縞や無地とを組み合わせた布を多く目にした。まず絣模様に必要な分だけ経糸を整経して、絣括りをする。染色後、括りを解き、再び整経を行う。はじめに一定の間隔をおいて絣模様の経糸を配置する。そして、そのすき間を埋めるように別糸で経縞や無地を整経していく。2 本の棒で張られた輪状の経糸は、移動や追加が簡単で、糸の配置が自由にできる。しかも、整経と同時に綜絖を取り付けることもでき、整経が終わった時点で、中筒を入れ、腰当てを取り付ければすぐに織り出せる。また、経糸の長さや織幅に合わせて、地面に打つ杭の位置を調節すれば、どんなサイズの布にも対応できる。シンプルであるが故に合理的な腰機の特性を改めて見ることができた。

 ◆合理的な機掛け
 腰機の機掛けは、まず輪状の経糸を用意し、その輪の中に数本の棒を入れることから始まる。高機のように、綜絖のあるところに糸を通すのではなく、糸に合わせて後から綜絖を取り付けるという具合に、目的に応じて装置を取り付けながら、織機が形作られていく。また、織るときには自分の腰で経糸の張りを調節しながら織るので、織り手の身体が機の一部となり、初めて織機として完成するという機である。そして、この地域の腰機には筬が無いので、経糸が1 本ずつ並んだ状態が経糸密度となり、布の表面には緯糸がほとんど見えない。筬によって経糸密度を変化させることはできないが、むしろ経糸が密に並ぶことで、経絣の模様がはっきりと現れてくる。また、筬に経糸を通す必要がないので、細かい絣模様の経糸を崩すことなく、そのまま機に掛けることができる。すでに存在する織機に糸を掛けるのではなく、糸に対して織り機を取り付けていくという点、また、自分の身体が織り機と一体になるという点は、高機とはまったく違い、むしろ逆の発想といえるが、初めに糸ありきの腰機の機掛けは、イカットの制作においては、実に合理的な方法になっている。
 効率的な絣括りを可能にしている重要な要素は輪状の経糸であり、そして、その輪状の経糸を切ることも、崩すこともなく染めて、機に掛けて織ることのできる腰機の構造もまた、イカット制作の上で重要な要素であり、布一面に描き出された絣模様もずれることなく、保つことができるのである。

 ◆イカットと腰機
 インドネシアにも、いろいろな織機はある。ヌサ・トゥンガラ以外の地域、スマトラ、ジャワ、バリ、スラウェシなどの各島では、高機も導入され、おもに緯絣や緯糸浮き織りが織られている。また、自動織機が稼働している地域もある。北スマトラのトバ湖周辺に居住するバタック人は「ウロス」という絣と浮織りによる伝統的な布を所有し、現在でも冠婚葬祭など様々な儀式において、ウロスは重要な役割を担っている。この地域のある村では、同じ村の中で、同じ模様のウロスを自動織機と高機と腰機で織っているのを見ることができ、まるで生きた博物館のようだった。ただし、この場合のウロスの布は絣糸を用いてはいるが、わずかに絣の名残をとどめているのに過ぎず、絣模様を形作る布にはなっていなかった。昔は布一面に絣模様が織られていたウロスも多かったが、自動織機や高機に押されたのかどうか… 、残念ながら、現在織られている布には絣はあまり見られず、浮織りが主になっている。
 かつて織機といえば高機が当然で腰機は原始的なものだという概念しか持ち合わせていなかった頃、インドネシアの絣織物は驚異的であり、その存在感に圧倒される思いだった。その後、イカットについて学び、腰機でイカットを織る体験を経て、当初の概念は消えていった。確かに、布を長く、早く、楽に織ることを考えれば、高機の方が効率的である。しかし、絣模様を思いのまま表現することを重視するならば、輪状の経糸や腰機は実に便利で合理的であり、高機で絣を織るのは、もどかしくさえある。

 インドネシアにおいて、今でもイカットが織られている地域は、決して豊かな地域とは言えない。沿岸部の商業地域から遠く離れた奥地であったり、あるいは、絣の宝庫と言われるヌサ・トゥンガラ地方の島々は、乾燥地帯であり、火山や石灰岩が隆起してできた島々で、土地は痩せている。他にこれといった産業もなく、自分で織った布を売ることが唯一の現金収入になる場合も多い。けれど、地面に杭を打って椰子の実の器を手渡しながら行う整経の様子や、地面に腰を下ろして数本の棒から成る腰機で織る姿を、機械文明から取り残された風景として見ることは早計である。この地域に高機が普及することもあり得たのであろうが、既にイカットの合理的な制作方法が完成されていて、高機が入り込む余地は無く、人々は高機を必要とはしなかったはずである。
 最も原始的といわれる腰機。数本の棒を用いただけのシンプルな織機ではあるが、イカットを織るのに適しているだけでなく、簡単な織機の構造からは想像もできないような複雑な布を織ることもできる。