忘れ人の独り言

明治生まれの両親がさりげなく生きていた姿が今,私に語りかけてくる。

3月末に避難指示地区を解除された飯館村の現状のテレビ番組

2017-09-02 | 世の中のこと

同じ年金者組合で活動されているMさんは原発なき日本をめざし毎週金曜日にキンカン行動と名づけ関電前までの抗議行動を多くの人達に呼びかけ5年間続けておられる。

その方のブログに載っていた記事を転載させてもらった。

この番組を見なかったが内容を読んでMさん同様、原発事故の残酷さと政府や東電の無責任な対応を改めて感じた。

以下 ↓

  今年3月末に避難指示地区を解除された飯館村の現状を映していました。地区指定を解除されたといっても、実際村に帰ってきたのは6000人のうち400人だと言います。しかも65歳以上の人が大半だというではありませんか。

 その理由は飯館村の75%は森林だそうです。除染されたのは住宅地を中心とした場所で、森林などは除染されていません。村の産業の中心はいうまでもなく農業ですが、森林が除染されていない中で、放射能が田んぼに畑に流入するのは必然です。これでは指定解除したから帰れということ自体が無理な話です。

 飯館村で農家を継ごうと考えていた40代前半の男性は、「誰でもやっぱり、ふるさとが一番です。自分だってふるさとで普通の生活が送りたい。普通の生活とは結婚して子供を育てるということです。しかし、飯館では嫁さんは来てくれません。来てくれる人があったとしても、子どもを育てることは無理でしょう」といって、今では故郷に帰ることを諦め、福島で花の栽培農園で働いている姿が映されていました。普通の生活をしたいというささやかな希望すら奪ってしまうのが原発事故です。

 飯館村には、飯館牛というブランドの肉牛飼育も20数軒あったようですが、帰ってきたのは1軒だけです。

続きは→原発事故の無残さを直視して、原発なき日本をで。