「大物政治家や企業家から、独居死、ホームレス、ならず者と呼ばれた人たち、一人の人間が一体とよばれる。しかし、どんな人にも生きとし生きた過去がある。最後の旅立ちを心こめて見送りたい、そんな思いを重ねて生かされた日々、それを文章にしてみようと思い立った。」と本のまえがきに書かれた著者は八十三才。
新聞広告で見て本屋に注文して届いた本は春、夏、秋、冬ごとに70節に区切られ著者が「おくりびと」としてかかわった話が出てくる。
どの話を読んでも心うたれ、、著者の真摯な心つかいが伝わってくるようだった。
三十節は「この世に住む家賃」という題で著者の盟友が亡くなり、お通夜の時に著者も心酔しているというお寺の住職が話された法話のことが書かれていた。
以下 抜粋
{「”死”てなんでっしゃろな!」から始まり、死という一大事を受けとめる宗教的見地を朗々と語り、”死は生の一部である”ときっぱり言い切った。未来永劫に続くいのちを語り、生の一部分である肉体の消滅を”死”というのだ、だからいつか再び相まみえる事が出来る。それを倶会一処(くえいつしょ)と言うと・・・(中略)
「わしも故人さんと同い年ですねん、えらそうな事言うてすんまへん。そやけど、わしらこの世に住まわしてもろてますんや。住まわしてもろてんのやから家賃払わんならん。
それぞれこの世に尽くす、思いやりとかやさしさとかが、その家賃です。故人は家賃のいらんとこへ行かはりました。仏さんのお家でっさかい」
住職が去られた後、「明日は告別式パスしようと思うとったけど、仕事休んで来るわ」そんな人がたくさん居られた。}