7年前2015年に私的なブログに書いていたものですが、そのブログを削除してしまいました。USBに残っていたのを改めてアップしました。人生本当にいろいろな生き方をしてやがては散ってしまいますが、74歳で「『富嶽百景』を完成させたっていうのもすごい!
1ケ月ほど前だったろうか、テレビで葛飾北斎の絵についての番組を見た。北斎があの有名な波の絵(「冨嶽三十六景 神奈川沖浪裏」)を描くのに何回も挑戦していることを知った。テレビで40代に描かれた波など数枚が映し出され70代になり、やっとあの今にも摑みかかりそうな波の先を表わすことが出来たそうだ。
その過程でお寺の欄間にかかる彫刻や中国の絵からヒントを得たと説明されていた。
北斎は、74歳で『富嶽百景』を完成させるが「70歳までに描いたものには、ろくな絵はない。これから思い通りの絵が描けるだろう」と言ったそうだが、この言葉を聞き驚いた。
人生の終わりに近づいたような気分で過ごしていた自分に少し渇を入れられたような気もちになった。(北斎先生に「何 分別くさそうな気になっているんや アホやな・・・元気、やる気で生きていかなあかんでーーと言われているようで)
調べればこの北斎という天才の人生は本当に面白いことが判り、興味はつきないくらいだった。
号を変えること30回、引越し93回、絵を描くことのみに集中し、部屋が荒れたり汚れたりするたびに引越したとか。
死を目前にした北斎は大きく息をして『天があと10年の間、命長らえることを私に許されたなら』と言い、しばらくしてさらに、『天があと5年の間、命保つことを私に許されたなら、必ずやまさに本物といえる画工になり得たであろう』と言いどもって死んだとか。
金銭に無頓着で、行儀作法を好まず、ひたすら絵を書き続け、89年生きた北斎が残した浮世絵は、のちにモネ、ゴッホなどヨーロッパの印象派の画家にも影響を与え、ドビッシーはこの絵からインスピレーションを得て交響曲『海』を作曲したと書いてあった。