沈む日に向かって歩いていると、小さな畑の覆い網が眩しい。
虫は入れても、鳥は入れない。
虫は一度引っかかっても、うまくつかまえれば入り込める。
そのときつかまえるのは虫のほうで、網が虫をつかまえるのではない。
掴まえると、捕まえるの違い。
発音がまったく同じでも、普通の国語を知る日本人なら、この違いはすぐわかる。
説明はいらないだろう。
横文字人種にこの違いをわからせるのは、容易なことではない。
論理的であることが、最上の情報伝達方法であると思い込んでいる人たちには通じないことがいくらでもあるのだ。
これは、幻惑でもなんでもない。