ここは我が家の駐車場、入ってもらっては困る。
文字看板を出すのは嫌らしいが、こういう表示の仕方はセンスが伺われて好意も持てる。
センスには伺われるセンスと疑われるセンスがあった。
「か」と「た」の違いで意味はプラス・マイナス逆方向になる。
善意も、解釈の仕方でプラス・マイナス逆方向になってしまうことがある。
善意の供与に出会って、感謝の心をもつか、所有権放棄とみなすかで大違いの結果になる。
自分の土地でも、ご近所のみなさんが近道に利用できるならどうぞと、通り抜けを許していると、何年か経つうちにそこは道路になってしまうという。
使わせてもらっていた道路にでこぼこができ、水溜りになると、管理不十分と文句を言ってくる。跳ね上った水で着物のすそが汚れた、洗い張り代をよこせと請求書が送られてくる。
まさかと思っていて、まさかにやられる。
そんなとき、法は決して善意を擁護してくれない。
法治はときに放置と同音異護になるから。