畑の木、はみ出しているのは根か。
畑の土が、水に乗って流されてしまっても、根だけは残る。
津波の跡にも、根の掘り上がっているところは映らない。
そう、根さえあれば。
頑張ろう。
畑の木、はみ出しているのは根か。
畑の土が、水に乗って流されてしまっても、根だけは残る。
津波の跡にも、根の掘り上がっているところは映らない。
そう、根さえあれば。
頑張ろう。
この花の名を知らなかった。
いつだったか、写真を載せたら、ミモザでしょうと教えてくださった。
花の名を知ることは、元気をもらうことでもある。
サーフィンは波が友達
ウインドサーフィンは波と風が友達
カイトボードは風が友達
そう勝手に考えてみたが、あたっているかどうかは風まかせ。
海面から飛び上がって、カイトに引っ張られて飛んでいくときは、本当に風まかせ。
2回飛び上がるところを見て、次にカメラを構えて待ったが、根負けした。
ここは我が家の駐車場、入ってもらっては困る。
文字看板を出すのは嫌らしいが、こういう表示の仕方はセンスが伺われて好意も持てる。
センスには伺われるセンスと疑われるセンスがあった。
「か」と「た」の違いで意味はプラス・マイナス逆方向になる。
善意も、解釈の仕方でプラス・マイナス逆方向になってしまうことがある。
善意の供与に出会って、感謝の心をもつか、所有権放棄とみなすかで大違いの結果になる。
自分の土地でも、ご近所のみなさんが近道に利用できるならどうぞと、通り抜けを許していると、何年か経つうちにそこは道路になってしまうという。
使わせてもらっていた道路にでこぼこができ、水溜りになると、管理不十分と文句を言ってくる。跳ね上った水で着物のすそが汚れた、洗い張り代をよこせと請求書が送られてくる。
まさかと思っていて、まさかにやられる。
そんなとき、法は決して善意を擁護してくれない。
法治はときに放置と同音異護になるから。
畑のかどかどに立つ木には同じ形のものがない。
ここはおらが畑。
木は番人の役目ではなく、目じるし。
この目じるしはひとに見せるためでない。
つい度を越えた祝い酒の翌日でも、風邪気味のかすんだ目にも、これが立っていれば、おらが畑を遠くから確かめられるのだ。
サイタ サイタ
サクラガ サイタ
尋常小学校1年生の国語読本は、サイタ サイタ と桜をめでることから始まっていた。
サイタでも、3月に最多という自慢にならないことがある。
日本の自殺者は3月初めに最も多い。
年間に3万人。
3という数字はこの月の日付に5回も出てくる。
暦のせいにせず、誰のせいにもせず、気をとり直して、背筋を伸ばして、頑張りましょう。
畑のかどに立つ、龍の姿を思わせるような木。
この畑の持ち主は龍夫さんという名ではないかなどと、いらぬ想像にまで及ぶ。
もう何週かすれば、芽を吹いてやるぞ、そう意気込んでいるような、小枝の生気。
永田町のみなさんにも、これぐらいの元気が欲しい。
沈む日に向かって歩いていると、小さな畑の覆い網が眩しい。
虫は入れても、鳥は入れない。
虫は一度引っかかっても、うまくつかまえれば入り込める。
そのときつかまえるのは虫のほうで、網が虫をつかまえるのではない。
掴まえると、捕まえるの違い。
発音がまったく同じでも、普通の国語を知る日本人なら、この違いはすぐわかる。
説明はいらないだろう。
横文字人種にこの違いをわからせるのは、容易なことではない。
論理的であることが、最上の情報伝達方法であると思い込んでいる人たちには通じないことがいくらでもあるのだ。
これは、幻惑でもなんでもない。
畑道には車の折り返し場所がいる。
駐車場と名づけるほどでなくても、農作業の間、車を寄せておく場所がいる。
丘の斜面の畑では、そういう場所を作るには、工夫がいる。
丘の畑には、洪水の心配はない。
かわりに、ほかのいろいろなことが、いる、いる、いると押し寄せてくる。
自販機の前に立って気づいた。
冷たいお茶は大きなボトル、温かいお茶は小さいボトルで売られている。
今は冬、暖かいほうがよく売れると思うのだが、売れそうなほうの入れ物が小さいのはなぜか。
ポケットに忍ばせて懐炉代わりにするには小さいほうが都合がよいからだろうか。
S社に尋ねてみたら、やや肩すかし気味の回答が来た。
「ホットの 500 mlペットボトルは、飲み終わるまでに冷めてしまうということもあって販売していない」
見事はずされたが、ヒントはつかめた。
そうか、大きいボトルは飲み終わるまでに冷めてしまうから、温かいお茶は小さいボトルがよい、ということだったか。
「桜の咲く時期にススキは穂を出すか」とクイズを仕掛けたら、「クイズにするくらいだからアリだろう」とすぐ見破られてしまった。
「それはパンパスよ」という正解も飛び出す。
パンパスグラスは別名シロガネヨシ(白銀葭)、ススキはカヤ(萱)、葭と萱は違う植物だった。
「南米大陸の草原(パンパス)に大群落を作って生育している」と、どこかに書かれていたが、pampas は西日翻訳検索に引っかからない。
あのスルスルと滑らかな穂は、簡単にはつかめないものらしい。
古いタンゴが聞こえてきた。
"Adios pampa mia"