(画/引用「那須与一」)
扇如離手則無風
手若捨扇復失風
非手非扇何處出
従来難辯此情風
ーある人悟道の意を述べて上記のこと曰く、われ勝手気儘卒髄に下記の如く訳し想到す。
扇のごとく手を離れてすなわち風はなく
手もし扇を捨てればそれまた風を失う
手にあらず扇にあらずどこから出でる
はなから知らんこの心向きの風あることを
-得手勝手御免
雅楽 琵琶秘曲〈啄木〉~平安末期の琵琶譜『三五要録』にもとづく再現~
(画/引用「那須与一」)
扇如離手則無風
手若捨扇復失風
非手非扇何處出
従来難辯此情風
ーある人悟道の意を述べて上記のこと曰く、われ勝手気儘卒髄に下記の如く訳し想到す。
扇のごとく手を離れてすなわち風はなく
手もし扇を捨てればそれまた風を失う
手にあらず扇にあらずどこから出でる
はなから知らんこの心向きの風あることを
-得手勝手御免
雅楽 琵琶秘曲〈啄木〉~平安末期の琵琶譜『三五要録』にもとづく再現~
(picture/source)
月と見て月には見えず
ながらえて
浮世をめぐる禿もはずかし
けふ(今日)をかぎりけふをかぎりと老いの身のおもわずもまたけふの初春 -仙厓禅師
Vivaldi Winter
♪ 年々 歳々 歳々 年々 再々 済々 再々 来年 は もうそろ そろ 来年 こそは こそは 来年 想いは 春 思いは 春 とおも い つ っ つ っ つ っ つ っ つ ・・ ・
とっところがところがところがところがとっところがところがところがところがところがーーー。 ♪
と、冬がリフレインするのである・・。
(gif/original unknown)
ある日和尚は庭で草をむしっていた。
お寺参りに来た人がそれを見て、
「和尚さん、なにをしておられます」と聞くと、和尚は、
「糞をたれておるよ」と答える。
「あなた、草をむしっているじゃありませんか」とその人が言うと、和尚は反応して、
「わかっておるなら聞くこともあるまい」。
(紫蘭/photo source)
たとえばむかし、足利尊氏は洛西等持院の境内にあった一本の松をこの上もなく愛していたという。
それはほととぎすの松といって、ほととぎすが巣をかけたことのある名木だった。その時代はともかく、今ではこの鳥はどんな場合にも、自分では巣を組まないで、鶯の家へなどへこっそり卵を産み落し、つまり托卵で雛をかえさせるので知られているほどだから、ほととぎすの巣だと思いながら、それは鶯の巣だったかも知れない。
梅に鶯なんていうものも、鶯はほとんど梅では啼かないようで、梅の木にいるあれはメジロだったりするようだ。
またたとえば日本の伝統色、その色分けは1000色以上とも言われている。たかがクレヨン12色ぐらいしか知らないくせに、「色んな意味で」なんていう類のたいそれたことを私が言える立場にないことは至極当然である。
でも私なりに何かを言いたいときもある。
だからそんなとき、ついつい小さく仕舞に付けてしまう。
「知らんけど」。
(picture/original unknown)
何に私は狼狽えている。何に憤慨する、何を恐れる、何を悲しむ、妬む、嫌がる、悲しむ、安堵する、驕る、卑屈する、何によってその心揺さぶられる。
抑えたと思う下からはねかえす油断のならぬ我はつわもの
腹立たば人をも世をも恨むまじそのまま悪しき心殺せよ
その心は今どんなことに囚われている。それさえわかれば、私はいつも穏やかにいられる。
The Last Knit
(picture/source)
新型コロナウィルスによる広範囲な流行のなか沈静化への救世主となるかもしれないワクチン候補は、今のところメッセンジャーRNAという種に属するものが先行しているようだ。
「精製RNAの保存は、短期間であればbufferまたはRNase-free waterに溶解した状態で、-20℃で保存できます。
しかしながら長期保存する場合は-80℃で保存します。bufferまたはRNase-free waterに溶解した状態での保存も可能ですが、エタノール沈殿の状態(RNAサンプルに最終濃度が0.5Mになるように酢酸アンモニウムを添加後、2.5倍容量のエタノールを添加してミックスした状態)で-80℃での保存が最もRNAが安定です。」ー引用
ということでしかしながらこのワクチンはとても低温で運用する必要がある。
ところで、凍結怪獣ガンダーは、
『過去の地球に氷河期を招いてきた宇宙人ポール星人が対ウルトラセブン用に送り込んできた怪獣である。それというのもウルトラセブンは冬という季節のない光の国出身なので、(一族の中でも特に)寒さに弱いという弱点を持っていた。このガンダーは、正にその弱点を突くために送り込まれた怪獣なのである。口からは辺り一面を零下140度にしてしまうほどの冷凍ガス「クールブロウ」を吐き出すことが出来る。
このガンダーの回は、今まで数々の宇宙人の侵略に耐えてきた基地が初めて陥落寸前にまで追い詰められた回でもあり、物語全体に絶望感や焦燥感が溢れていたためか視聴者に強い印象を与えた。
そしてその絶望的な状況をひっくり返したのは、人間の持つ不屈の闘志であった。』ー引用
Medicine
(photo/original unknown)
若い頃のお顔より、今の顔の方が私は好きです。
嵐の通り過ぎたそのお顔の方が。
-マルグリット・デュラス,「ラマン」より
Nico - Chelsea girls (1967)
(gif/source)
3歩のところを5歩行くとどうなる? 当然行くことは出来ない、となる。
小学一年生に「3から5ひくといくつになる」と聞いてみると「ゼロになる」と答える。
が、中学生は代数という約束事を知っているのでー2と答える。
3歩しかないといえども5歩行ける、3個のリンゴをゼロになるまで5人で分ける、こういう人たちが約束事を超えた無碍な世界を生きていけるのだろうと思える。
*無碍:とどこおらせる障害がないこと。邪魔するもののないさま。
El alma de la belleza II. El arte de cerrar los ojos. José María Toro
(gif/source)
yesterday,お腹が急に刺してきて公衆便所に駆け込んだ。
こと終わり得も言われぬ安堵と吐息の中ふと見るとその眼前に楷書でこんなことが書かれてあった。
“トイレにはトイレットペーパー以外のものは流さないでください”
このような不安はどこかで拭ってきたはずなのだが、ふとまた頭をもたげたのである。
有無もない、つまり「もちろん運子は流してもいいよ」ということが世においては暗黙の了解だと知らなかった昨日時の不安感である。
Yesterdays
(quote/Marcus Aurelius)
テレビ業界は、その体質上必然的に、国民に、永遠と絵空事をばらまいている。娯楽という麻薬を与えているかのようだ。
そういう番組を観て人々は安心する。そして世界や自分に向き合う力を失っていくのだ。
理想の自分になるためには理想を自分に問うことなのに。ーsource/I Am Not Your Negro
誰だったか、こんな迷言を吐いていた。
「メディアというものから、信用して情報を取り入れられるのはスポーツ欄にかぎる、そこには人の間違いなく成し遂げられたことが書かれている、他のほとんどはしょうこりもなく人間がしでかしたことの残骸と、もっともらしい未来、もっとひどいのはそれらを偏見で糊塗するなんちゃってですらある」。
(picture/source)
多分世の立志譚のほとんどに後付けの眉唾ものも多いのでありましょうが、以下の文章は、子の親として孫の爺として、もしや大事な自習を促されているような心持になるのであります。
ー以下
わたしは小学校の読本の中に二宮尊徳の少年時代の大書してあったのを覚えている。貧家に人となった尊徳は昼は農作の手伝いをしたり、夜は草鞋を造ったり、大人のように働きながら、健気にも独学をつづけて行ったらしい。これはあらゆる立志譚のように――と云うのはあらゆる通俗小説のように、感激を与え易い物語である。実際又十五歳に足らぬわたしは尊徳の意気に感激すると同時に、尊徳ほど貧家に生まれなかったことを不仕合せの一つにさえ考えていた。……
けれどもこの立志譚は尊徳に名誉を与える代りに、
当然尊徳の両親には不名誉を与える物語である。
彼等は尊徳の教育に寸毫の便宜をも与えなかった。いや、寧ろ与えたものは障碍ばかりだった位である。これは両親たる責任上、明らかに恥辱と云わなければならぬ。
しかし我々の両親や教師は無邪気にもこの事実を忘れている。尊徳の両親は酒飲みでも或は又博奕打ちでも好い。問題は唯尊徳である。どう云う艱難辛苦をしても独学を廃さなかった尊徳である。我我少年は尊徳のように勇猛の志を養わなければならぬ。
わたしは彼等の利己主義に驚嘆に近いものを感じている。成程彼等には尊徳のように下男をも兼ねる少年は都合の好い息子に違いない。のみならず後年声誉を博し、大いに父母の名を顕わしたりするのは好都合の上にも好都合である。しかし十五歳に足らぬわたしは尊徳の意気に感激すると同時に、尊徳ほど貧家に生まれなかったことを不仕合せの一つにさえ考えていた。
丁度鎖に繋がれた奴隷のもっと太い鎖を欲しがるように.。
ー芥川龍之介「侏儒の言葉、二宮尊徳」より