南無煩悩大菩薩

今日是好日也

刻まれ刻み刻むべく

2012-07-21 | 有屋無屋の遍路。
(source)

無常迅速生死事大と謂われる。

春夏秋冬神祇釈教恋無常というのもある。

今日は人も無く、さびしきままに時の音を聞き遊ぶ。

芭蕉の「笈の小文」の中にこんなくだりがある

・・・・・四時を友とす。見るところ花にあらずという事なし。思うところ月にあらずという事なし。
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好々爺のなり方。

2012-04-05 | 有屋無屋の遍路。
(original unknown)

自分の良心に照らし合わせて、やましいことがなければ、笑っていられるし、夜もぐっすりと眠れます。

したことよりもしなかったことが大きな影響を与える。

そこんところもたぶん大事なひとつだと思うのです。
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真実不虚。

2011-12-01 | 有屋無屋の遍路。

寒暑栄枯天地之呼吸也。

苦楽寵辱人生之呼吸也。

達者に在っては何ぞ必ずしも其遽(すみや)かに至るを驚かん哉。

-詠み人知らず-
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祈りに近い願い。

2011-11-11 | 有屋無屋の遍路。
(source)

人一倍健康に気をつけていても、知命をも待たず病に倒れる人がいる。
酒は浴びるように呑み、尻から煙をはくほど煙草吸いながらも、楽々と還暦越えをする人がいる。

同じ境遇であっても、慙愧にたえない人もいれば、どこ吹く風の人もいる。

シルクを着て喜んでいる人もあれば、穴の開いた使い古しを着て喜んでいる人もいる。


人、同一の志趣を抱懐しながら、様さまざま、あるものは本懐を遂げ、あるもの届かず。
しかしなれども、あらゆるものは一掬の涙に終わる。



-沖の鮑に願いを聞けば あたしゃ真珠を孕みたい-
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煙の種。

2011-08-25 | 有屋無屋の遍路。
(月僊十六羅漢図)

ひとはみな煙の種 

難儀を駿河(するが)の海も 往生を信濃(しなの)の山も 

無常はいつをさだめがたし

息子は 親父となり としよりて爺

娘は 嫁となり としよりて婆となる

千歳(ちとせ)も散らぬ 花は梨の実

このみ ひとえが浮世の旅衣(たびごろも)

しまいは 焼かれて 煙の種 
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十牛の図、その一。

2011-08-11 | 有屋無屋の遍路。
1. 「尋牛」   失った牛を探す 本来の自己を探しに出る


積もり積もりて積もることなく 失(なく)し失して失するを知らず

探し探し探す 尋ね尋ね 思い行い歩き尋ね探す


ある教育者はこういいました。
「できる子とできない子」がいるのではない。学習の速度が「速い子と遅い子」がいるに過ぎない。

そしてある作家はこう言いました。
「人間には早すぎる死か、遅すぎる死しかない。」
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十牛の図、その二。

2011-08-11 | 有屋無屋の遍路。
2. 「見跡」   牛の手がかりを見つける 知識として知ったにすぎない


綿菓子のことをコットンキャンディーといいます。

ソープバブルは、シャボン玉。

見つけたとおもえばするりと消えたり、大きいと思えば小さな粒だったり、します。

気付こうとしなければ、ずっと気付かなかったりすることはいっぱいありそうです。
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十牛の図、その三。

2011-08-10 | 有屋無屋の遍路。
3. 「見牛」   牛の声を聞き後ろ姿を見る まだ全てを見たわけではない


我慢強い人は、苦しそうな表情を見せながらも、苦しいとはあまり言わないものです。

ある人に「痛いですか」と聞くと、「どの程度から痛いといっていいのかわからんのだ」と言ったそうです。

どの程度なら・・・。
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十牛の図、その四。

2011-08-10 | 有屋無屋の遍路。
4. 「得牛」   ついに牛を見つけ手綱をつけるが、牛はいやがる


今度逢ったら一千万あげる。と言われても誰も信じませんが、今度逢ったら三千円あげる、と言われればつい信じてしまいます。

でも、結局もらえなかったらどちらでも同じことです。

私たちは、得られたか得られていないかよりも、そう思った、ことにひきづられたり、まとわりつかれたりするようです。
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十牛の図、その五。

2011-08-09 | 有屋無屋の遍路。
5. 「牧牛」   牛をならし連れて帰る 牛の顔を見る


花が好きな人がいれば、それよりも団子が好きな人がいたりもします。

でも何かに駆られて、いっぱい花を摘んだり、団子を掻き集めたら、愛でたり、美味しく頂いたりできなくなったりするのは何故でしょうか。
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十牛の図、その六。

2011-08-09 | 有屋無屋の遍路。
6. 「騎牛帰家」 牛に乗り笛を吹きつつ家に帰る 牛と童子は一体


海彦の幸は海に、山彦の幸は山に、あるということはわかっています。

でもなぜか私たちは、違うものや無いものを欲しがったりしてしまいやすいようです。
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十牛の図、その七。

2011-08-09 | 有屋無屋の遍路。
7. 「忘牛存人」 家に帰り牛のことも忘れる 悟った気持ちさえも忘れる


夜寝りにつくと、朝まで、目が覚めるまで、私たちは多少の騒音を伴う無防備な物体と化します。

古くから、寝起きを襲うというのは、もっとも卑怯だといわれ、また、おちおち夜も寝られない、というのは辛い事です。
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十牛の図、その八。

2011-08-08 | 有屋無屋の遍路。
8. 「人牛倶忘」 一円相 人も牛も忘れた絶対空の世界


多角形の角を増やせば増やすほど、円に近づきます。

角を取ることで、氷は解けづらくなります。

角があれば、角は強いけれど、辺は弱くなります。

でも角が無ければ、私たちはとても不安かもしれません。
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十牛の図、その九。

2011-08-08 | 有屋無屋の遍路。
9. 「返本還源」 人も牛も消え、花と水の自然に還る


もっていたものがなくなると、人は喪失感を持ち、それを取り戻そうとします。

でも、

あったことがなくなったのと、なくなったということがあったのと、どうちがうのでしょか。
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十牛の図、その十。

2011-08-08 | 有屋無屋の遍路。
10. 「入廛垂手」 童子は布袋と対面、世間に還る


たぶん私たちは大変興味深い世界にいるようです。そしてこの未熟な手はおぼろげながらも小さな意思を持って「それ」を探しているようです。

私は、牛は、童子、布袋は、どのようなものか。
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