魔除の神。鐘馗様。
魔は外からやってくるだけではない。
魔がさす。ということがままある。
ついつい魔がさしてしまう不安定さを抱えるのは人にとっては仕方が無い。
考える葦である。ということは、つねに対角線上の思考の入り込む余地が出来る。
己の不幸を悲しむがあまり、他人の不幸も期待したりする。
自分の至らなさに傷つくのを恐れるがあまり、激情的で過剰な反応を起こす。
理に照らせばわかることでも、矛盾の捌け口が見つからないことで、思考は迷走し、理にもつかぬ愚行を選択してしまう「魔」がさすのだ。
内なる魔。
ショウキさま~。おねげえですだ。オラが正気に保てるようみちびてくだせぇ~。
というわけで、ショウキ様と呼ばれるわけではないだろうが、案外近い感覚はあるのではなかろうか。
ま。いいか。は魔をゆるしてしまい。
まいったなぁ。は魔がはいってしまう。ことにもなりまねない。
除ける気が低下すれば、スルリと入り込んでしまうのが、「魔」だ。
魔除の決心。鐘馗の自覚。
ん。お守りになりそうだ。
心の隙間にでも一つ持っておくことにしよう。
鐘馗様が朱に染まる。
「魔」をうっちゃり、飼いならしたら。
人として、また一つ。成長するかもしれない。