人間は、自然のうちでももっとも弱い一本の葦(あし)にすぎない。
しかしそれは考える葦である。
これをおしつぶすのに宇宙全体が武装する必要はない。
一つの蒸気、一つの水滴もこれを殺すのに十分である。
しかし宇宙がこれをおしつぶすとしても、そのとき人間は、人間を殺すこのものよりも、崇高であろう。
なぜなら人間は、自分の死ぬことを、それから宇宙の自分よりずっとたちまさっていることを知っているからである。
宇宙は何も知らない。
だから我々のあらゆる尊厳は考えるということにある。
我々が立ち上がらなければならないのはそこからであって、我々の満たすことのできない空間や時間からではない。
だからよく考えることを努めよう。
ここに道徳の原理がある。-パスカル「パンセ」より-
人間は考える葦である。
あまりにも有名なため、僕はこの言葉の基盤にこんな脈絡のあることを知りませんでした。
もっと早くに気付く、いや考えるべきであった。
そのことは、僕の狭小な考えをどのように開眼させ一本の筋を通させてくれるのかということを。
将に、不徳の致す処であったわけです。