(picture/source)
数知れぬ者の中の誰が私なのか、私たちは何者なのか?
私は見つけられぬ、唯一人の私を、
その者たちは、私の衣裳の中に姿を消し、
他所の街にいってしまう。
万事が都合よく運んで
私を聡明に見せようとするとき、
私の中に隠れている愚か者が
姿を現し、私に取って代わって話し始める。
私は眠っている
一廉の者達の中で、
勇気ある自分を探し求めるとき、
見知らぬ臆病者が
突然姿を現し私を取り繕う
何やらうまい言い訳で。
瀟洒な家が火に包まれ、
私は消防士を呼ぶ、すると
現場に突然現れるのはこの家の放火犯、
しかも、それはこの私。何ということだ?
いったいどっちが私なのだ?
どうけりをつければいいのだ?
私の読む本の
眩しいほどの主人公は、
いつも確かな自分自身だ。
彼らがたまらなく羨ましい
そして、吹きすさぶ風と硝煙いっぱいの映画の中で
私はカウボーイに目をみはり、
馬を見ては感動する。
でも、私が英雄を必要とするとき、
古い怠惰な私が現れる。
そして私は知らない 自分が何者であるか、
自分が何人であるか あるいは何人になるかを、
ベルを鳴らし
本当の私を招集したい、
なぜならもし私が本当に私自身を必要とするなら、
私は姿を消してはならない。
私が書いている間、私は遠くにいる
そして私が戻ってくるとき、私はいなくなっている。
私は知りたい、
他者も私と同じことをしているのか、
私と同じくらい多くの自己を持っているのか、
そしてその多くの自己が似ているのかを
そして私がこの問題に悩むとき、
私はすごく勉強しているのだ、
私自身を説明するのは、
地理学を語ることだと。
-詩/パブロ・ネルーダ(Pablo Neruda)「私は無数の自分」より-
数知れぬ者の中の誰が私なのか、私たちは何者なのか?
私は見つけられぬ、唯一人の私を、
その者たちは、私の衣裳の中に姿を消し、
他所の街にいってしまう。
万事が都合よく運んで
私を聡明に見せようとするとき、
私の中に隠れている愚か者が
姿を現し、私に取って代わって話し始める。
私は眠っている
一廉の者達の中で、
勇気ある自分を探し求めるとき、
見知らぬ臆病者が
突然姿を現し私を取り繕う
何やらうまい言い訳で。
瀟洒な家が火に包まれ、
私は消防士を呼ぶ、すると
現場に突然現れるのはこの家の放火犯、
しかも、それはこの私。何ということだ?
いったいどっちが私なのだ?
どうけりをつければいいのだ?
私の読む本の
眩しいほどの主人公は、
いつも確かな自分自身だ。
彼らがたまらなく羨ましい
そして、吹きすさぶ風と硝煙いっぱいの映画の中で
私はカウボーイに目をみはり、
馬を見ては感動する。
でも、私が英雄を必要とするとき、
古い怠惰な私が現れる。
そして私は知らない 自分が何者であるか、
自分が何人であるか あるいは何人になるかを、
ベルを鳴らし
本当の私を招集したい、
なぜならもし私が本当に私自身を必要とするなら、
私は姿を消してはならない。
私が書いている間、私は遠くにいる
そして私が戻ってくるとき、私はいなくなっている。
私は知りたい、
他者も私と同じことをしているのか、
私と同じくらい多くの自己を持っているのか、
そしてその多くの自己が似ているのかを
そして私がこの問題に悩むとき、
私はすごく勉強しているのだ、
私自身を説明するのは、
地理学を語ることだと。
-詩/パブロ・ネルーダ(Pablo Neruda)「私は無数の自分」より-