(書/白隠禅師)
人間は喜寿ともなれば、死の足音にいわば「冷静な哀感」とでもいうべき思いをもって耳傾ける以外に生きようがない。
老人は思う、現代文明が没落して何の不思議があろうか、日本国家が滅亡して驚くいわれがどこにあろうか、それどころかお前の人生には何の意義もなかったと世間から烙印を押されたとて抗弁の必要があろうか、それらに抗い続けるのはもう無駄だという時期が必ずやってくるもののようであり、そんなとき「モウヤメタ」との呟きが喉の奥からおのずと出てくるのである。
つまり死は束の間の生の最後のほんの一環にすぎぬと心の底から思わないわけにはいかないのである。
残るのは(事故死を別とすると)耄碌と病気にどう対処するかということだけになる。その平凡事が実は難しい選択問題なのである。
この男、「自分が家族や友人や社会に何の貢献もできないのに、彼らや彼女らから世話を受けることばかり多き」という状態に入るのでは、死ぬ甲斐も生きた甲斐もなくなると考えてきた。また病院での死における「安楽死」とか「尊厳死」とかの要求も莫迦げたものに聞こえた。
一般に死にゆく者もその周囲にいる者も人に死に安楽を覚えるはずがない。また、そういう心理計算は「苦痛の減少が安楽だ」ということで、そんなのは安直かつ平板な功利主義だ。
尊厳死とやらについては、人間の尊厳の最後の一片をも奪いとるような延命法は言語道断とはいうものの、その人格の全体として、尊厳に値するはずもない人間なる者に、尊厳のほんの一片(植物人間化の阻止など)を与えたとて、その死の全体が急に尊厳味を帯びるわけもないのである。
-切抜/西部邁「ファシスタたらんとした者」より-
人間は喜寿ともなれば、死の足音にいわば「冷静な哀感」とでもいうべき思いをもって耳傾ける以外に生きようがない。
老人は思う、現代文明が没落して何の不思議があろうか、日本国家が滅亡して驚くいわれがどこにあろうか、それどころかお前の人生には何の意義もなかったと世間から烙印を押されたとて抗弁の必要があろうか、それらに抗い続けるのはもう無駄だという時期が必ずやってくるもののようであり、そんなとき「モウヤメタ」との呟きが喉の奥からおのずと出てくるのである。
つまり死は束の間の生の最後のほんの一環にすぎぬと心の底から思わないわけにはいかないのである。
残るのは(事故死を別とすると)耄碌と病気にどう対処するかということだけになる。その平凡事が実は難しい選択問題なのである。
この男、「自分が家族や友人や社会に何の貢献もできないのに、彼らや彼女らから世話を受けることばかり多き」という状態に入るのでは、死ぬ甲斐も生きた甲斐もなくなると考えてきた。また病院での死における「安楽死」とか「尊厳死」とかの要求も莫迦げたものに聞こえた。
一般に死にゆく者もその周囲にいる者も人に死に安楽を覚えるはずがない。また、そういう心理計算は「苦痛の減少が安楽だ」ということで、そんなのは安直かつ平板な功利主義だ。
尊厳死とやらについては、人間の尊厳の最後の一片をも奪いとるような延命法は言語道断とはいうものの、その人格の全体として、尊厳に値するはずもない人間なる者に、尊厳のほんの一片(植物人間化の阻止など)を与えたとて、その死の全体が急に尊厳味を帯びるわけもないのである。
-切抜/西部邁「ファシスタたらんとした者」より-