(picture/source)
「平均寿命以上の高齢者については、その死亡の遠因はほとんど老衰とみていいでしょう」と指摘する医師は少なくない。
特定の病名を死因としない、全身の細胞が加齢に伴い衰弱して生命が尽きるのが老衰死。多くの場合、食欲が薄れて食事量が減少し、睡眠時間が長くなり枯れるように亡くなる。
「生物が楽に死ぬことができる仕組みとして作られている」のが老衰とも指摘される。
というのも、低栄養で脱水症状により脳内モルヒネといわれるβエンドルフィンが湧き出てきて陶酔感や多幸感が起こり、ケトン体も増えて鎮静効果が発揮される。
これによって苦痛もなく穏やかに亡くなることができる。
これと対極を成すのが、栄養や酸素を人工的に送り込む延命治療を続けた上での死である。「死を一刻一秒でも遅らせるのが医療の役目」と医療教育で徹底的に教えこまれ、延命治療を当然の業務とする医師は多い。大病院、総合病院の医療者ほどその傾向が強いといわれる。
この2つの異なる死への考え方が対立しているのが日本の現状である。
延命治療への依存から抜け出すためには、医療界だけでなく国民意識の転換も必要だろう。医療技術の進展は近代科学のシンボルでもある。だが、命に限界があるのは自然の摂理。科学と自然のはざまにあるのが今の老衰問題ではないだろうか。その論議を深める第一歩が死亡統計である。「書き換え」をやめて、ありのままの姿を公表すべきだろう。
-切抜/浅川澄一「老衰死の実数は統計より多い、死亡診断書“書き換え”のトリック」より
Manu Chao - Clandestino (LIVE)
「平均寿命以上の高齢者については、その死亡の遠因はほとんど老衰とみていいでしょう」と指摘する医師は少なくない。
特定の病名を死因としない、全身の細胞が加齢に伴い衰弱して生命が尽きるのが老衰死。多くの場合、食欲が薄れて食事量が減少し、睡眠時間が長くなり枯れるように亡くなる。
「生物が楽に死ぬことができる仕組みとして作られている」のが老衰とも指摘される。
というのも、低栄養で脱水症状により脳内モルヒネといわれるβエンドルフィンが湧き出てきて陶酔感や多幸感が起こり、ケトン体も増えて鎮静効果が発揮される。
これによって苦痛もなく穏やかに亡くなることができる。
これと対極を成すのが、栄養や酸素を人工的に送り込む延命治療を続けた上での死である。「死を一刻一秒でも遅らせるのが医療の役目」と医療教育で徹底的に教えこまれ、延命治療を当然の業務とする医師は多い。大病院、総合病院の医療者ほどその傾向が強いといわれる。
この2つの異なる死への考え方が対立しているのが日本の現状である。
延命治療への依存から抜け出すためには、医療界だけでなく国民意識の転換も必要だろう。医療技術の進展は近代科学のシンボルでもある。だが、命に限界があるのは自然の摂理。科学と自然のはざまにあるのが今の老衰問題ではないだろうか。その論議を深める第一歩が死亡統計である。「書き換え」をやめて、ありのままの姿を公表すべきだろう。
-切抜/浅川澄一「老衰死の実数は統計より多い、死亡診断書“書き換え”のトリック」より
Manu Chao - Clandestino (LIVE)