南無煩悩大菩薩

今日是好日也

たしなみ

2019-04-08 | 壹弍の賛詩悟録句樂帳。
(photographer/Maurizio Buscarino)

たしなみは、平常ふだんの用意であります。かかることもあろうかと、用意し、作り、植えたのであります。それですから、万一の時の役に立つのであります。

用意をしながら、その時がとうとう来ずにしまっても落胆ということばとは縁のないこと。その用意こそ、いわゆるたしなみであります。

たしなみということは、効果如何を考えず、責任として尽すところに価値があります。誰への責任でしょうか。誰への責任でもありません。自分の職分としての責任であります。

維新時分の達識の人が、天を相手にすると言った意味です。人に知られず、効果を考えず、深く自分の職分を考えて、その準備を深めて行く。そのことに楽しみを持って行く。

これが本当のたしなみであります。故にたしなみという言葉には奥床しさという感じが伴います。
 
人に知られず、効果に現れずとも、たしなみの深い人には、奥床しさがほのぼのと立ち上がるものであります。気配というものは正直なものであります。

ある一事についての深いたしなみは、もうそのことの上のたしなみだけでなく、人間上のものになって来ます。

-岡本かの子「仏教人生読本」より

「平常心」と「不動心」ということについておもってみたりすることがある。

物事に際して、こころ常に平らで、こころ動ずることなく、接することが出来ればそれは大人(たいじん)とうものだろうし、そこにいたるも、たしなみ如何の成果であるのかもしれない。
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