(picture/Nachi Falls © Muda Tomohiro)
清岩禅師の法語にはこうある。
心というものは元来、有るものか無いものか?
答えて言う、無きものなり。
問うて言う、無いものならどうして寒熱、飢飽、喜怒、煩悩などがおこる。
答えて言う、それはみな当座当座のデキモノであって、元来は無いものである。
問うて言う、それはいつから出来ていつから無くなる?
答えて言う、当座に出来て当座に無しになる。例えば、心に金があるよと思う、風が吹くよと思う、その心は当座に出来て直ちに無くなるものだ。つまり水に映る月、鏡に映る姿のようなものだ。水に映る月は水がなくなれば直ちに無くなるように、鏡の姿も自分が去れば直ちに無くなるように。心は胸に有るとおもって胸を割ってみたとてそんなものは無い。
年ごとに咲くや吉野の山桜 木を割りてみよ花のありかを 一休
とやかくとたくみし桶の底抜けて 水たまらねば月も宿らじ 千代尼
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