良寛さんは、年とるにつれて、人々から尊敬されるやうになった。みんなは良寛さんを偉いお方だと思った。
べつだん良寛さんは、人が驚くやうな大きな仕事をしたわけではなかった。良寛さんの偉さはじみで、目立たなかった。
ちょうど眼に見えないほど細い糸で、しみじみと降る春雨のやうに。春雨は土を黒く潤し、草や木を芽ぶかせてやる。良寛さんの人がらも、そのまわりの人々の心を潤し、浮ついていた心をしっとり落着かせ、知らぬ間に希望(のぞみ)と喜びの芽をふかせると言う風である。
世間で偉いと言われている人々の中には、なるほど固い意志の力を持って大きな仕事をしとげはするが、人間らしさを持たないという人もないものではない。しかし良寛さんはそんな人とは違っていた。良寛さんは、飽くまで人間らしさを失わなかった。
或日良寛さんは、野中の一本道を歩いていた。ひさしぶりで懇意にしている家へ訪ねていったのに、あいにく留守だったので、もういく先のあてもなく、ぶらりぶらりと歩いていた。
空に一つの白くふくらんだ雲が流れていた。野には良寛さん、ただ一人の姿が見えた。他に何もなかった。春風が軽く吹いていた。遠くにちらちら光るものがあった。草の葉や水だった。
良寛さんは、ぼんやりして歩いていた。すると、頭に不意と一つのことがうかんで来た。
「お金を道で拾うと大変嬉うれしいものだ。」といつか誰かから、きいていたことである。
それを想い出すと良寛さんは、早速実験して見たくなった。幸ひ、あたりには誰もいなかった
良寛さんは鉢の子の中から、さっきお百姓家でもらったお金をとり出して、道の上に投げた。そして拾った。
「なァんだ、ちっとも嬉しくない」
とひとりごとをいった。実際、少しも嬉しくはなかった。
――もう一ぺんやって見よう。
今度はもう少し遠くへ投げた。お金は石ころにあたって、ちゃりんとひっくりかえった。良寛さんはまたそれを拾いあげた。
「なァんだ、ちっとも嬉しくないじゃないか」
――これはやり方がまずいのかも知れない、もう一ぺんやって見よう。
今度はもっと遠くへ投げた。同時に自分の眼をつむった。ちやりんと音がした。それからそうっと眼をひらいて見た。
「おや。」
お金は何処どこかへ隠れてしまった。もう道の上には見えなかった。
良寛さんは、お金の落ちたあたりへ走っていった。そして探しまわった。
お金はなかなか見つからなかった。
「こいつはしまった」
良寛さんは頭をかきながら、草の中を探しまわった。そのうちに、とうとうお金は見つかった。小さい紫の花をつけている菫(すみれ)の葉の下にそれは隠れていた。
「なァんだ、菫めが隠しておったのか」
そう言いながら、良寛さんは、お金をまたもとの鉢の子の中に収めた。
これで実験は済んだ。そしてその結果、人々が「道でお金を拾うと嬉しい」と言うことは、確に本当であると、良寛さんにわかった。
「いや、全くだ。全くほんとうだ。」
――それにしても、わしはなぜこんな野原の真中で、こんなことをしているのだろう。良寛さんは、雲を見てちよっと考えたが、解らなかった。
-引用/新美南吉「良寛物語」より
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