禅の公案に「主人公」というものがある。今朝、朝刊を読んでいたら、ふとこれがあの「主人公」ではないか、また「唯我独尊」という公案もこれに類するものではないかと想うことがあった。
向谷地生良氏の「当事者研究」といものについての記事であったが、「苦労」は「反省」から「研究」へと発想を変えることで自らを自らの手に取り戻すことができる。そのことを氏は「自分の苦労の主人公になる」と言う言葉で表現されているように思えた。
借金苦、病苦、生活苦・・当事者自身がじぶんの苦情を理解することで救われる苦労もあるというものだ。
ちなみに以下、記事を一部抜粋してみる。
「当事者研究」をご存じだろうか。幻覚や幻聴、摂食障害、リストカット、統合失調症といった「苦労」を抱える当事者が、自身の症状が起こるパターンやプロセス、構造を「研究」する取り組みだ。症状に翻弄されていた当事者は研究を通じて回復への道を歩み始める。「当事者が自身の症状を理解する」。至極当たり前に聞こえるかもしれないが、通常、当事者が病院へ行けば医師が診断する。つまり症状への判断や対応は専門家の手に委ねられる。私たちは当事者研究を通じて症状を理解する過程を「自分の苦労の主人公になる」と表現している。当事者研究が始まったのは2001年。北海道・浦河町で精神障害当事者が暮らし、働く拠点「べてるの家」でのこと。統合失調症を抱え、肉親への暴言や暴力、破壊行為といった「爆発」に苦しんでいる男性がいた。爆発後、彼はいつも深く反省し行為を止めたいと思っているように見えた。「反省をやめて研究してみてはどうか」。私がそう持ちかけると、目を輝かせて「やってみたい」と言った。反省しているからこそ、その罪悪感から引きこもり、不安や焦り、被害妄想が募ってまた爆発してしまう。彼は研究によって、そんな自分を支配していた法則を発見した。さらに子供時代を振り返り、爆発が大人になることを拒絶するパフォーマンスだったと客観的に理解した。つづいて彼は、研究成果を実生活の中で検証、実験していった。そうするうち、同じような苦労を抱える仲間に自分の弱さ話を共有することで徐々に爆発前のサインをキャッチしたり、爆発のエネルギーを他の活動へ転化したりできることを発見していった。
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