(photo/source)
『・・・僧璨禅師の「信心銘」冒頭にある有名な四句に「至道無難、唯嫌揀択、但莫憎愛、洞然明白」がある。「至道は無難」、実在体験の究極の境位といったところで、何も特別に難しいことはない、「唯だ揀択(けんじゃく)を嫌う」、ただただ、あれがいい、これが悪いと選びの心が動くからいけないのだ。「但だ憎愛なければ」、好きだ嫌いだという執着さえなければ、「洞然として明白なり(一点の曇りもなく、何もかもからっと透き通し)」、存在の真相は了々と眼前に露現する・・・』-井筒俊彦「意識と本質」より-
十四歳の沙弥 道信 は弟子入りに来て、僧璨禅師に言った。
道信“和尚様、何卒、慈悲たれ賜いて 悟りへの法門をほどき与え たまへ。”
僧璨“誰があなたを縛ったか?”
道信“縛った人はいません。”
僧璨“では、今更 何を解くというのか?”
そこで道信は大悟したという。(source)
『・・・僧璨禅師の「信心銘」冒頭にある有名な四句に「至道無難、唯嫌揀択、但莫憎愛、洞然明白」がある。「至道は無難」、実在体験の究極の境位といったところで、何も特別に難しいことはない、「唯だ揀択(けんじゃく)を嫌う」、ただただ、あれがいい、これが悪いと選びの心が動くからいけないのだ。「但だ憎愛なければ」、好きだ嫌いだという執着さえなければ、「洞然として明白なり(一点の曇りもなく、何もかもからっと透き通し)」、存在の真相は了々と眼前に露現する・・・』-井筒俊彦「意識と本質」より-
十四歳の沙弥 道信 は弟子入りに来て、僧璨禅師に言った。
道信“和尚様、何卒、慈悲たれ賜いて 悟りへの法門をほどき与え たまへ。”
僧璨“誰があなたを縛ったか?”
道信“縛った人はいません。”
僧璨“では、今更 何を解くというのか?”
そこで道信は大悟したという。(source)
憎愛というより好みには顔が目が反応してしまう。反省。