南無煩悩大菩薩

今日是好日也

有るとみて無いはもとの水

2021-11-14 | 壹弍の賛詩悟録句樂帳。

(picture/Nachi Falls © Muda Tomohiro)

清岩禅師の法語にはこうある。

心というものは元来、有るものか無いものか?

答えて言う、無きものなり。

問うて言う、無いものならどうして寒熱、飢飽、喜怒、煩悩などがおこる。

答えて言う、それはみな当座当座のデキモノであって、元来は無いものである。

問うて言う、それはいつから出来ていつから無くなる?

答えて言う、当座に出来て当座に無しになる。例えば、心に金があるよと思う、風が吹くよと思う、その心は当座に出来て直ちに無くなるものだ。つまり水に映る月、鏡に映る姿のようなものだ。水に映る月は水がなくなれば直ちに無くなるように、鏡の姿も自分が去れば直ちに無くなるように。心は胸に有るとおもって胸を割ってみたとてそんなものは無い。

年ごとに咲くや吉野の山桜 木を割りてみよ花のありかを  一休

とやかくとたくみし桶の底抜けて 水たまらねば月も宿らじ  千代尼

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 「こそ」の置き所。 | トップ | 弥勒窟 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

壹弍の賛詩悟録句樂帳。」カテゴリの最新記事