南無煩悩大菩薩

今日是好日也

Sweet Dreams

2018-06-08 | 意匠芸術美術音楽
(photo/original unknown)

Sweet Dreams (Are Made of This) - Eurythmics (violin/cello/bass cover) - Simply Three
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夢のもろもろ

2018-06-08 | 古今北東西南の切抜
(gif/source)

「面白くない夢」

金を拾った夢。……………


「良い夢」

夢は夢らしくない夢がよい。人生は夢らしくない。それがよい。

「性欲の夢」

トルストイがゴルキーに君はどんな恐ろしい夢を見たかと質問した。
「長靴がひとり雪の中をごそごそと歩いていた。」とゴルキーが答えた。
「うむ、それは性欲から来ているね。」と、いきなりトルストイは解答を与えた。
何ぜか、これは少し興味がある。

「たまらぬ夢」

ある小説に、妻が他の男と夢の中でけしからぬ悦び事をしているにちがいないと思って悩む男のことが書いてあった。男はそれを、「たまらぬことだ。」と云っていた。
なるほど、これはたまらぬことだ。手のつけようがないではないか。そう云う妻の行為に対する処罰の方法は! それは空を見ることだ。空を見ると、夜なれば星と月。星と月とを見ていれば、総てが夢だと思うだろう。空は無いもの。夢は空と同じ質のものに相違ない。

「夢の解答」

私は今年初めて伯父に逢った。伯父は七十である。どう云う話のことからか話が夢のことに落ちて行った。そのとき伯父は七十の年でこう云った。
「夢と云うものは気にするものではない。長い間夢も見て来たが皆出鱈目だ。」

「夢の研究家」

私の友人で夢の研究家があった。夢ばかりを分析していた。逢うと夢の話をしていた。すると、死んで了った。

「夢の話」

夢の話と云うものは、一人がすると、他の者が必ずしたくなる。すると、前に話した者は必ず退屈し出すのだ。何ぜかと云えば、それは夢にすぎないからだ。

-切抜/横光利一「夢もろもろ」より
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The Power of YET

2018-06-06 | 古今北東西南の切抜
(quotes/source)

経営者という仕事は、気が弱い人には向かない。

理念を求めるも、浸透に至るまでにはかなりの時間がかかるし、それが正解かどうかも分からない不安の中でやり遂げようとする強い信念が欠かせない。

赤字を重ね近視眼的になったとしても、将来必要だろうと思われる長期的な視点を優先させる胆力も求められる。

リスクを敬遠する人間の性に打ち勝つ意志と、創造的摩擦に向き合う不屈の精神も必要になる。

つまりばくち打ちの要素がふんだんにある。

そして逃げようもないと思われる閉塞感にあっても押し潰されることなく楽観性を維持できなければならない。

-切抜/出典不詳
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The Ocean

2018-06-05 | 意匠芸術美術音楽
(photo/source)

Jean Michel Jarre ~~ OXYGENE ~~ The Ocean
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殻は破って脱ぎ捨てる

2018-06-04 | 世界の写窓から
(gif/source)

-なにかを-

変えようとするとき、

われわれは大きな〝勇気〟を試されます。

変わることで生まれる「不安」と、変わらないことでつきまとう「不満」。

-岸見 一郎「嫌われる勇気」より
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逢茶喫茶逢飯喫飯

2018-06-03 | 壹弍の賛詩悟録句樂帳。
(gif/source)

いつぞや、日向地方を行乞した時の出来事である。秋晴の午後、ほろほろ気分になって宿のある方へ歩いていると、ぴこりと前に立ってお辞儀をした男があった。

『あなたは禅宗の坊さんですか。……私の道はどこにありましょうか』

『道は前にあります、まっすぐにお行きなさい』

私は或は路上問答を試みられたのかも知れないが、とにかく彼は私の即答に満足したらしく、彼の前にある道をまっすぐに行った。
 
道は前にある、まっすぐに行こう。

この語句を裏書するだけの力量を私は具有していないけれど、この語句が暗示する意義は今でも間違っていないと信じている。
 
平常心是道、と趙州和尚は提唱した。総持古仏は、逢茶喫茶逢飯喫飯と喝破された。

道は非凡を求むるところになくして、平凡を行ずることにある。漸々修学から一超直入が生れるのである。飛躍の母胎は沈潜である。

-種田山頭火「道〔扉の言葉〕」より

茶に逢えば茶を飲み、飯に逢えば飯を掻き込む。

道は続いている。泳ぐ処に逢えば、泰然と泳ぐのみである。
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フォーム

2018-06-02 | 世界の写窓から
(picture/source)

フォームも、非言語伝達の一つです。言葉よりもその本質を語る場合だって多いものです。

その人のフォームが綺麗だということは、普段からやはりきれいに磨いて調整している結果なのでしょう。

人生も、自分のフォームを崩さずにいれば、ピンチでもなんとか切り抜けられるのではないでしょうか。
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