南無煩悩大菩薩

今日是好日也

反省

2020-02-07 | 有屋無屋の遍路。

どこかが、おかしい。

でなければ、わたしがおかしい。
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純粋無謬存在理由

2020-02-04 | 古今北東西南の切抜
(picture/original unknown)

私たちは、鎧を身に着け己を守っているつもりでいる。

世の汚れを離れた場所から眺め、無関係なつもりでいる。

だが、汚れへの嫌悪は次第に私たちを蝕む。そして最後には日常に戻れなくなるのだ。

(引用/映画「湿地」より)

Book Trailer: Mýrin/Jar City


純粋さとは、

汚れをじっと見つめうる力である。

極限の純粋さは、純粋なものをも、不純なものをもじっと注視することができる。

不純は、そのどちらもができない。

汚すのは、変化させることであり、触れることである。

美しいものとは、変化させようと思うことのできないものである。

なにかに対して力をふるうのは、汚すことである。

所有することは、汚すことである。

純粋に愛することは、へだたりへの同意である。

自分と、愛するものとのあいだにあるへだたりを何より尊重することである。

目的を持たぬ努力のみが純粋である。

力を振るうことも被ることもない。これぞ独自の純粋さである。

力を賛美しない文明。力の影響を免れているものは純粋である。

純粋さは悪を浄める。

誕生と死は人間存在の純粋さの変質である。

裸性と完全な純粋さの瞬間は人生において二度しかない。誕生と死である。

しかしわれわれの内なる凡庸さは生きながらえようとして自衛する。

それで純粋さを穢す必要を覚えるのだ。

力を行使することは穢すことだ。所有することは穢すことだ。

純粋さは悪を惹きつける。

悪は焔に跳び込む蛾のように純粋さにまとわりついて滅びる。

すべては火を通らなければならない。

しかし焔となった人々には火が常住の場である。

それにしても火となるには地獄を通ってきたのでなければならない。

(切抜/シモーヌ・ヴェイユ「純粋さ」より)
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レイチェル...

2020-02-02 | 古今北東西南の切抜
(picture/source)

2005年にアメリカの未来学者レイ・カーツワイルは、「ポスト・ヒューマン誕生ーコンピュータが人類の知性を超えるとき」(原題 The Singularity Is Near)を刊行しました。

シンギュラリティには「単数であること,異常性」などといった意味がありますが、カーツワイルは人工知能(AI)が人類の知能を超える転換点(技術的特異点)の意味でこの言葉を使用しています。そして彼は2045年にはシンギュラリティの、時代が来ると予言しました。

シンギュラリティの到来については、それを楽観視する見方と悲観視する見方があります。

AIとは何か?僕は自動車と同じであると思います。人間が走る能力には限界があります。そこで自動車という地上を高速で走る機械を発明しました。

けれど、ウサイン・ボルトは決して自動車と競争しようとはおもわないでしょう。競争は人間同士の能力を競うからこそ意味があるのです。自動車は仕事やデートに使うものです。もちろん酔っ払い運転をすれば人を殺します。しかし上手に使えば便利なツールです。ですから自動運転まで登場しようとしているのです。同様な理屈は飛行機にも当てはまります。

それでは、AIとは何でしょうか。

AIは計算能力という面で、人間の能力を補うために開発されました。計算とは計り数えることです。AIは、その計り数える対応量とスピードが、人間の脳よりもはるかに優れている機械です。人間は、AIを自動車を暴走させるように破壊的な目的でも使用できます。コンピュータの高度な計算能力が開発されたのは、ミサイルが敵国の首都を確実に破壊できるルートとその確率の計算を、可能にすることが大きな目的でもあったからです。

しかし、AIそのものが人類の知能を超えるというシンギュラリティの発想には、僕は同意することができません。

なぜなら、人間にとって脳はまだまだ未知の領域が多く、脳の活動についてはほとんど何もわかっていないからです。わかっていない脳の仕組みをAIに置き換えることはかなり難しいと僕は思うのです。

一方で、人間の行動パターンを無限にAIにインプットしていけば、脳の活動も解明できるという意見もありますが。このあたりはとても難しい問題です。

現時点で僕は、AIは自動車と同じように、機械として利用すればそれでいいのではないかと思っています。

-切抜/出口治明「哲学と宗教全史」より

Making of Rachel in Blade Runner 2049
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ちょっとキケロ

2020-02-01 | 壹弍の賛詩悟録句樂帳。
(Quote /Cicero)

いいもできない、説きもできない、思議もできない。

不可称、不可説、不可思議。とはそういうことだ。

過ぎたことをあれこれ思いへたれ、と言われるも仕方なく。

まだ来ぬことをあれこれ思いあほくさ、と言われるも仕方なし。

ということは多々ある、なるほどともそう思う。不可称、不可説、不可思議。

ああそうであったか・・・。と得心には至らずとも、自らを触発啓発してくれる人々や場面環境、その鼓動は探せばそこここに脈打ち私を包み込んでいる。

そこにある片鱗に触れてなんとなくいい心持になったとしたら、いわんや逆に憮然たるもそれはそれ、頓着無し。

Beethoven #7, 2nd Movement
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