① 体調はいまいちだったが、10:20から「世界に告げよ」の一曲鑑賞を書き始め、11:55頃に一旦中断して昼食。12:25から執筆を再開して、12:51に擱筆できた。感謝。
② 15時過ぎに最寄り図書館へ行き、『絵葉書と切手で知る クリスマスの世界』を返却し、予約していた一冊を借りてこられた。感謝。
③ まだ週報を貰ってきてないのではっきりは分からないけど、おそらく明日に「詩編を読む会」の第14回が開催されるのだろう。詩編14編は、所属教会の牧師先生の説教の通奏低音のような聖句である(まぁ多分、先生は詩編14編を引用したローマの信徒への手紙3章12節をベースにしてるんだろうけど)。所属教会員には(私そんなに悪人じゃないよ?)という意識の人が多いように見受けられる(まぁ日本キリスト教団全体にそういう傾向があるのかもしれないが)。人の罪の告白を聞いてから、やっと自分も似たような点についてちょっと言う、という感じなんだよなぁ、、、別に「露悪的になれ」というわけではないけど、自分がどうしようもないと認めるところからしか、主の力は発揮されん気がするけどね……教会員がええカッコしいをやめますように。
「世界に告げよ」は、黒人霊歌の “Go Tell It On The Mountain” が日本語訳された讃美歌である。原曲の英語のほうは、世俗的でないクリスマスアルバム(洋楽)ではよく目にする。いかにもゴスペルらしい力強さに溢れた曲であり、沢知恵のアルバムでは『いいうたいろいろ4』に原恵 訳による日本語版が収録されている。この讃美歌の楽譜は、『讃美歌第二編』の172番に載せられている。
*沢知恵「世界に告げよ」【Amazon music】
マルコによる福音書5章に、ゲラサ地方に住む人が癒される話が出てくる。以下に引用する。
一行は、湖の向こう岸にあるゲラサ人の地方に着いた。イエスが舟から上がられるとすぐに、汚れた霊に取りつかれた人が墓場からやって来た。この人は墓場を住まいとしており、もはやだれも、鎖を用いてさえつなぎとめておくことはできなかった。これまでにも度々足枷や鎖で縛られたが、鎖は引きちぎり足枷は砕いてしまい、だれも彼を縛っておくことはできなかったのである。彼は昼も夜も墓場や山で叫んだり、石で自分を打ちたたいたりしていた。イエスを遠くから見ると、走り寄ってひれ伏し、大声で叫んだ。「いと高き神の子イエス、かまわないでくれ。後生だから、苦しめないでほしい。」イエスが、「汚れた霊、この人から出て行け」と言われたからである。そこで、イエスが、「名は何というのか」とお尋ねになると、「名はレギオン。大勢だから」と言った。そして、自分たちをこの地方から追い出さないようにと、イエスにしきりに願った。ところで、その辺りの山で豚の大群がえさをあさっていた。汚れた霊どもはイエスに、「豚の中に送り込み、乗り移らせてくれ」と願った。イエスがお許しになったので、汚れた霊どもは出て、豚の中に入った。すると、二千匹ほどの豚の群れが崖を下って湖になだれ込み、湖の中で次々とおぼれ死んだ。豚飼いたちは逃げ出し、町や村にこのことを知らせた。人々は何が起こったのかと見に来た。彼らはイエスのところに来ると、レギオンに取りつかれていた人が服を着、正気になって座っているのを見て、恐ろしくなった。成り行きを見ていた人たちは、悪霊に取りつかれた人の身に起こったことと豚のことを人々に語った。そこで、人々はイエスにその地方から出て行ってもらいたいと言いだした。イエスが舟に乗られると、悪霊に取りつかれていた人が、一緒に行きたいと願った。イエスはそれを許さないで、こう言われた。「自分の家に帰りなさい。そして身内の人に、主があなたを憐れみ、あなたにしてくださったことをことごとく知らせなさい。」その人は立ち去り、イエスが自分にしてくださったことをことごとくデカポリス地方に言い広め始めた。人々は皆驚いた。(マルコによる福音書5章1節〜20節)
唐突に福音書のこんな箇所を持ち出して、面食らった方もいるだろう。私自身も「世界に告げよ」が、このゲラサ人と関わりのある曲だという話を聞いたこともない。しかし、歌詞の一番〈世界に告げよ、野を越え山こえ、「救いの君は来たりましぬ」と。〉を耳にすると、野を越え山こえ「救い主がおいでになった!」と告げ知らせ回る破天荒な行動力の持ち主が、イエスに癒されたゲラサの人にどうも重なって仕方ない。
マルコによる福音書5章を読んで(それはそうと、イエスって癒しておいて、お供したいと熱心に申し出た人を家に帰したりして、案外冷たいじゃん……)という感想を抱いた方もいるかもしれない。下記は、ただ私の「私見」であり「証し」であることをお含みいただいた上で、お読みいただきたい。
私は、母教会で「◯◯は自制が足りない」といつも指摘されつつ過ごしてきた。私には当初、言わんとすることが全く解らなかったが、行動力に優れた教友の間で揉まれ、時に劣等感に苛まれながら、落ちこぼれクリスチャンとして何とか生きていた。2001年に精神状態に異変をきたして山梨に連れてこられてから、私は霊的なパイプを遮断されたようになり、本当に苦しい年月を過ごした。2007年のクリスマスにN教会に転入会し、2008年4月より市内の作業所に通うようになっても、私は二十代の頃の生活とのギャップに苦しみ、早く一般就労に戻ろうと、矢鱈にハローワーク通いを繰り返していた。それ以降も何度か病状の再燃を経験し、2012年には乳がんの手術も受けた。その後の乳がん治療でホルモン剤を服用していく中で不眠が悪化し、私は頓服の鎮静剤の服用量の加減を試行錯誤の末に掴んでいった。そうして過ごしているうちにも加齢による影響は容赦ない。更年期と鎮静剤の加減からくると思われるふらつきに対処するため、私は起床時刻、朝に摂取する飲み物、黙想・お弁当の準備・歯磨き・化粧など朝に必須の行動をどう組み立てていくかにも、神経を働かせるようになった。作業所で職員さんにきめ細かいアドバイスをいただけたのも幸いしたと思う。
イエスはゲラサの人に、「帰って、言い広めなさい」と仰った。地元に返す——そこで主の御用のために役割があったのである。あるいは、癒された後に義の生活を生きるために、鍛錬に相応しい場所に送られることもあるのではないか?と今の私は思う。
現実の私は、週の半分は作業所に通所しているけれど、その他は横になってグッタリしている時間が非常に長い。その合間を縫って、パソコンを起動して教会の用事や執筆をしたり、家事をしたりしている。普段ぐうたらしてるのに、本当に偉そう!!って自分でも思う。でもこれって、誰かに似てない?——私は自分のことを、ニネベに遣わされた預言者ヨナっぽいな、とちょっと思う。——眠ってばかりで僻みっぽく、希死念慮に容易く走るヨナを、主は用いることができた。私達を生かしている主は、そのような方なのである。
Holyspirit Community Church / Go Tell It on The Mountain(語り伝えよ)[2021 Christmas worship]
Blind Boys Of Alabama /Go Tell It On The Mountain - 11/26/2019 - Paste Studio ATL - Atlanta, GA
① 昨晩は21時半過ぎに『絵葉書と切手で知る クリスマスの世界』(木村正裕 著)を読了してから就寝したので、今朝は5時過ぎに起床。リハビリとリンパドレナージ→NHK短歌→テレビ体操→NHK俳句→日記→聖書とオズワルド・チェンバーズの通読→朝食、という流れ。8時半に掃除機をかけられた。感謝。
② その後FEBC聴きつつグッタリ。それからFEBCライブラリーの英隆一朗神父のお話を聴きながら歯磨きできた。感謝。
③ 今日は礼拝を欠席。10:25頃から、礼拝聖句を読み、一曲讃美歌を聴きにYouTubeのアプリを起動したら、服巻有香さんが歌枠のライヴ配信をしてたので、思わずちょっと観ちゃった。素の喋りが飾ってなくて可愛い方なんだなぁと思った。活動が祝福されますように。
④ その後グッタリしつつ、iPhoneで手紙文四通の下書きができた。感謝。
⑤ 昼食後、手紙文の一つを昨日作った短歌ポストカードに清書し、残りはFEBC番組表に清書できた。前者は、トラクト最新号と私の10月の聖書黙想を添えて封書にした。先ほど投函に行き、少し散歩できた。感謝。微妙に暑いような寒いような不思議な感じ。見晴らしスポットに行って、穭田を渡る風に高野公彦さんの「青春はみづきの下をかよふ風あるいは遠い線路のかがやき」が浮かび、私にはああいう抒情的な歌を作れる日はくるのだろうか?と思った。帰り道、朝顔や狗尾草が目についたが写真は撮らなかった。そして、名称に頼り過ぎない作歌について少し考えた。
⑥ 一気にガーッとは進められないが、『信徒の友』2024年1月号以降の「日毎の糧」掲載教会の祈りの課題を読んで、励まされる方がいらっしゃいそうな教会宛てに謹呈を少しずつ始めようと思っている。だけどレターパックライトで出すからって、歌集+トラクト+FEBC番組表、とか盛り盛りに入れるときっと食傷気味になるよなぁ……一軒一軒よく考えて、準備できますように。
① 10時頃に歯磨き。11時頃に洗濯機を仕掛け、早めの昼食の後にFEBC聴きつつ、洗濯した服を干せた。感謝。
② 13時頃にMacBook起動。短歌ポストカードを一つ作成できた。感謝。
③ また、年配教会員宛ての月例封書用に、私の聖書黙想をプリントアウトできた。感謝。
④ そのついでに、礼拝説教の2013年9月の一回分と2021年11月の一回分をseesaaより削除できた(前者はMacBookのミュージックからも)。感謝。
⑤ さらに某ネットショップの退会手続きを完了させた。感謝。
⑥ 社会全体がバッタバタしてるが、その殆どが、「言質取り」と「真似っこ乞食」なだけな気がするなぁ……前者は政治家に顕著、後者は広告業に顕著。マスコミは両方という感じ。で、テレビなどは最小限しか観ないほうが良い、という結論になる。時間は限られてるからね。いつも主を仰ぎつつ過ごせますように。
① 今朝は、FEBCの「つねちゃんねる」(加藤常昭先生のYouTubeをベースにした語り合い)を聴いて、めちゃめちゃ養われて、早めに通所できた。感謝。
② 午前は、目の前に車が好きなメンバーが座っていたので車関係の質問をしていたが、話がラリーにならなかった。私が「運転する時は眠くならない?」と訊くと「なりません」との返事。そしたら他のメンバーが、千葉からの道々眠くならないようずっと歌ってました、という話をしてくれたので、私は母教会の当時の主任牧師(アメリカ人)が運転していて眠かった時に、隣に座っていた教会員に「何か冗談を言って(目を覚まさせて)ください」と頼み、駄洒落が返ってきて理解できなかったエピソードを話した。「英語の直訳で駄洒落を説明しても白けるだけだろうし」と私が言うと、そのメンバーは「英語だとブラックジョークなんでしょうね」と答えた。私は「英語だと韻を踏むとポエムになっちゃうんじゃないか」と返した。そこから少し芸人の話になり、「……でも、根が暗い人がどんどんネガティヴに考えていって、それがある瞬間お笑いっぽく転じる、って結構あるよね」と私が言うと、相手は思いつく芸人の名前を列挙した。「私もガリ勉で根暗なほうだったけど、まさか後半生で、半分マジメ半分お笑いみたいな台本を(教会で)書くことになるとは思わなかったよ」と言った。
昼休みに、絵本を一冊出版されてるUさんに「◯◯ちゃんは二冊目の本を出すの?」と訊かれ、「いえ私は人気ないんで、家にまだ沢山在庫があるんですよ。それをどうにかしないと作れませんね、物理的に置き場所の問題で。それに歌集が捌けた頃まで元気かも分かりませんし」と答え、「私の歌は万人受けしないんですよ。恋愛短歌同好会の主宰の方は、歌集の発売の前に重版が決まったりしてましたけどね……でも、(恋愛〜?そんなものがいいの?)と思ってる私が(どうせ世間ではこういうのがウケるから!)ってこさえても、やっぱそれは見え透くというか、全く評価されないですからね。やっぱ自分の個性を大切にしなきゃ駄目ですね」と話した。
午後は、サッカー好きなメンバーの前で作業。話の糸口を作ろうと、サッカー関連のことでやや頓珍漢な質問を発しながらも、何となく話がほどけ、そのうち最寄りのモールのカジュアルショップの話になった。私は以前そこにローラ・アシュレイのワンピースを下取りに出したら「勿体無い」と不憫がられた話をした。その辺から、最近テレビで観た「ココちゃん」「シャネルちゃん」のペット動画の話をし、また、発病して山梨に連れてこられ、一旦東京に戻った時に、ヨージヤマモトをパクったようなデザインの某通販のワンピースを着ていて、電車で怖い思いをしたことを打ち明けた。少し黙った後に私は「でもお洒落って、一種の鍛錬というか……思いついてもそれを実行できるには凄く自分を律する力が必要というか」と言った。
14時休憩時に、一緒に作業していた職員さん(経理の方)に、12月は教会が忙しいのでしょう?と尋ねられ、こひつじの会で企画されてる三つのことと委員会主催のイベントについてアウトラインを語り、「私自身が演じる機会は限定的なんだけど、その場にいてフォローやサポートもしなきゃいけないから、そんなに倒れてもいられない」と言い、「変な話ですけど、皆さんが倒れずちゃんと務められるよう祈んなきゃいけないんですよね」と話した。それを少し離れた場所で聞いていたメンバー数人が微妙に反応していた感じだった。
まぁワサワサ感のある喋り方しかできない私だけど、教会のことを話せたりしてるし、(ふーん、◯◯さんも大変なんだ……)と作業所の職員さんやメンバーに気にかけていただけるよすがにはなってると思う。感謝。