毎日がちょっとぼうけん

日本に戻り、晴耕雨読の日々を綴ります

「餞の言葉」  2012年4月25日(水) No.336

2012-04-25 22:10:55 | 中国事情
いつ別れるか分からないのが人と人。
ここの大学の学生たちと私との関係もそうだ。

そう思って授業に臨む今日此の頃。
中国の内陸の貧しい省に生まれ、教育は公教育のみ、
子供の頃は首に赤いネッカチーフをくくりつけ、
共産主義青年同盟の少年隊みたいなことをしていた子もいる。

先生によっても子供の育ちは違ってくる。
多くの子達は、画一的な教育を受けてきたことがうかがえる。
しかし、
彼女ら、彼らの素晴らしいところは
胸を開いて、話を聞いてくれることだ。
私が大大大嫌いな日本(これ、この間の名古屋市長発言以来、こうなってしまったのです)
から来た日本人であるにも関わらず。
私という日本人と、
自分たちが恨み、憎んでいる日本はまるで別であるかのように
考えている。

もし、私が政治について話すことを許されていたら
ちょっとは説明ができるのだが、
そんなことで憎悪がなくなるかどうか、いや、無理だろうなあ。

そういうわけで、私が学生たちに言えることはなんだろうと考えた。
作文教育として精一杯言えるのは、

①文を書く事は、思考することである。
②主張したいことを堂々と書く。
③主張が正しいかどうか、最大限の検討をする。間違っても1箇所だけからの情報を鵜呑みにしてはならない。
④反対意見をなで斬りにせず、相手の意見を丁寧に考察する。
⑤○か×かだけの単純な発想を捨てて、多面的に考察する。インターネットを駆使して資料を調べる。
⑥自分の経験や身近なところでの見聞を手がかりにする。

そして最後に
⑦とにかく、自分の頭で考えよう。

ということ。
どの国の子どもに対しても、言ってあげられることは同じだなあ。
私は日本でも似たようなことを言っていた気がする。
コメント
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