毎日がちょっとぼうけん

日本に戻り、晴耕雨読の日々を綴ります

「国慶節の特訓」No.2701

2018-10-02 23:01:27 | 中国事情

キャンパスのモクゲンジの実が色づいてくると、

(ああ、今年も秋が来た)としみじみ思います。

モクゲンジの実はこんな感じ。

モクゲンジの実 写真

去年の国慶節はのんびりしていた気がするんですが、

今年は10月13日に

「中日平和友好条約締結40周年記念」

山東省スピーチコンテストがあるというので、

この休み中は毎日、出場者の趙祖琛さんの特訓です。↓

ちなみに昨年2017年11月15日には、

「中日国交正常化45周年記念」スピーチコンテストで

本校の韋彤さんが誰一人予想だにしなかった優勝を果たし、

そのご褒美で大会共催者の和歌山県に招待されるというドラマがありました。

しかし、スピーチ大会出場資格は2年と3年だけなので

今回、4年生は応募できません。

この大学の日本語学部は2年前、

隔年募集にするとか言って新入生を募集しなかったので、

現3年生は存在しません。

(その割に今年は募集したのです。非常にちゃらんぽらんな大学です)。

そういうわけで2年生の趙祖琛さんが出ることになりました。

他の大学は恐らく3年生ばかりが出場します。

「2年生なんだから出場できるだけでもラッキーと思って、

気楽にやろうね。入賞しようとか考えないで。」

と言うのですが、根が真面目すぎるほど真面目な趙さんは、

(2年生は3年生より未熟なんだから、3年生の2倍頑張らなければ!)

とか思うタイプで、ストレスを溜めながら努力を続けています。

「辛かったら出場を辞退しましょうか?

無理しなくてもいいですよ。」

と私が言っても、

「ここまで頑張ってきたんだから、出場します!」と。

今回の獲得目標は、

この大会出場をきっかけに、発音・アクセント、表現のレベルアップや、

中日関係について考える機会にするというものです。

中日友好条約が締結された1978年は、

鄧小平による改革開放経済政策がスタートした年です。

それから40年間の中日関係の変遷も、

彼には遠い過去の歴史のような感覚かも知れません。

ちょうどいいので、

二人でちょっと前の歴史発掘の旅に出ようと思います。


↓日本語学部研究室で練習に励む趙祖琛さん。

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「沖縄県知事選開票の夜:宜野座村(ぎのざそん)」No.2700

2018-10-02 03:11:27 | 我が心の沖縄
Sarasa Aiharaさんのフェイスブック記事と写真 9月30日 22:45  

宜野座村玉城デニーさん後援事務所。

全村で停電の宜野座村、発電機でNHKの当確発表を観ました。

停電でどこにも注文受け付けてもらえず手作りオードブルを持ってくる人。

発電機を用意する人。お酒を持ってくる人。三線を持ってくる人。

携帯片手に駆け込む人、人、人。

 

「負けたらまたウチナー(沖縄)は、

うしぇーられる(ナメられる)のかねーと

思ってたけど、政府に勝ちました!

もう75歳になりましたんで、

負けたらもう年寄りは黙っておこうと思ってたけど、

勝ちましたので、また明日から頑張っちゃおう!」

と、毎日一人で「デニーさんをよろしく」と書いたボードを持って

村役場前に立っていた元村長。

「『ウチナーンチュがこころ一つにするとマグマのようになる』

と翁長さんが言ってたけど本当だね!」

「ウチナーンチュ(沖縄人を) 

ウシェーてナイビランドー(馬鹿にしてはいけませんよ)!」


本当に、本当に、良かった。

沖縄の人たち、すごい。

本当におめでとうございます。

貴重な真っ暗な夜をみんなぐっすり眠れる。

とりあえず今日は。

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コメント (2)
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