↑昨日、菏澤学院から菏澤駅に向かうタクシーの中の趙祖琛さん。
↓開会を宣言する会場校(聊城大学)日本語学科の学生たち。
なんとまあ、一位になってしまいましたよ~。
一位と言っても中国のランク付けは、
トップが特賞、次が一位なのですけど、
他大学20校の3年生の先輩方を差し置いて
こんなに上位の賞をいただけるとは、
本当に、本当に、ありがたいことです。
趙祖琛さんのスピーチは次のようなものでした。
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(課題テーマ)「未来の自分に伝えたいこと」
菏澤学院日本語学部 趙 祖琛
「特別優秀クラスの第二位」・・・・・・高校入学時の私の成績です。
奇跡のようなその成績に、両親も私も大喜びしました。
しかし、その輝かしい成績こそ、私にとって大きな呪縛になったのです。
(何としてもこの成績を維持しなければ!)
クラスの全員が競争相手に見えた私は、
(一人で頑張るしかない。他人は私と関係ない)と、
自分の周りに厚い壁を築きました。
先生にさえ質問せず、全部自分で完璧にしようと、
朝五時から夜十二時まで必死に勉強しました。
ご飯を食べていても味も分からず、
寝ている時すら楽になれません。
そんなに頑張った一年間でしたが、成績はぱっとせず、
医師に「鬱病」と診断されました。
最後は、不登校になりました。
家族や周りの人はこんな私にとまどうばかりで、
「もう少し頑張ればスランプを脱出できるよ。頑張って。」
(私はそんな言葉がほしいんじゃないのに!)
……しかし、自分も自分の無力が許せません。
かと言って死ぬ勇気もありません。
受験地獄は、中国の多くの高校生の心を簡単につぶしかねません。
睡眠時間を削る過重な課題、頻繁に実施される試験。
生徒の価値はただ成績だけで、友達は自分を蹴落とすライバルです。
そんな気持ちを引きずって大学に入った私は
(高校の時の失敗だけは繰り返すまい)と自分に言い聞かせました。
そんな時です、同じクラブのある女の子から
「付き合ってください」と言われたのは。
精一杯勇気を振り絞っての言葉だと、見てすぐわかりました。
全身、緊張しながら、私に手を差し伸べている彼女の姿が、
私と他人を隔てる壁に小さな穴を開けました。
付き合い始めた私たちは、一緒にリンゴをかじりながらお喋りしたり、
好きな観葉植物を飽きずに見たり・・・・・・。
こんな普通のことが、私の心の氷を、ゆっくり、溶かしていきました。
そうなると全てが変わってきて、今ではクラスのみんなに、
「趙さん、前よりずっと話しやすくなったよ!」
と言われています。
一年の終わりに、私は日本語能力試験N2を受けることにしました。
とても高いハードルですが、大切な人に、
自分の努力している姿を見てもらいたかったんです。
精一杯頑張る中で、どんどん日本語が好きになり、試験結果は177点。
努力が成果に繋がりました。
彼女がいたから、私は安心して頑張れました。
私が学んだ大切なことは
「一人では何もできない。生きていくことでさえ……。」
ということです。
受験勉強で凍りついた私の心は、他人(ひと)の力を借りて解放されました。
これまでの悲しみや苦しみは、これから私を、
より大きな世界へと羽ばたかせる力になる、
そうしなければならない、と思います。
今、未来の自分に伝えたい。
「さあ、今度は、お前が勇気を振り絞れ!
悲しみを抱えて苦しむ、一人ぼっちの誰かのために。」と。