1925年-1945年の20年間、悪名高い「治安維持法」の時代でした。
文学者三浦綾子さんは1922年に北海道旭川で生まれ、
1938年から1945年まで、つまり、16歳から23歳まで
小学校で教員を務めており、その間子どもたちに迷いなく、
「あなた方は戦争に行きます。
そして、天皇陛下のために死ぬのが立派な務めなのです。」
と教えていたそうです。
その後、戦争に負けると、
教科書で教えてきたことは全て墨で黒く塗りつぶされました。
自分の犯した罪に対する
彼女の底知れぬ苦しみが始まった時だと思われます。
戦後しか知らない私などは、
(三浦さん、本当に、子どもが天皇のために死ぬのが正しいだなんて
心底思っていたの?命以上に大切なものはないのに……)と、
いとも簡単に批判できます。
しかし、思えば、
当時京都の女学生だった岡部伊都子さんは、
戦地に赴く恋人が、
「国のためなんか死にたくない。君のためなら死ねるけど」と言うと、
「お国のために死ぬのは立派だと、私は思うけど」と諫め、
恋人はその後、戦地で死にました。
当時沖縄の伊江島に居た阿波根昌鴻さんは、
東京で学んでいた一人息子を戦時下伊江島に呼び戻し、
結果、息子はまだ兵士になる年齢でもないのに召集されて死にました。
当時の国民はみんな、国のために死ぬことばかり教育されて、
それが当然だと心底思い込んでいたと言います。
あの、聡明な岡部伊都子さんが、
あの、全身反戦平和の塊だった阿波根昌鴻さんが、
そして、一人の命のまたとないことを説いていた三浦綾子さんが、
想像を絶する頭マヒ状態だったのです。
戦前の教育がどれほど徹底的な天皇崇拝の軍国主義に冒されていたか、
歴史を紐解いて、具体的に、
何がどうなってそんなに洗脳されてしまっていたか、
洗脳されていなかった人たちは、どんなひどい目に遭ったか、
自分で検証しなければ、リアル感が湧きませんよね。
しかし、一人ひとりには生活の忙しさがあります。
学者のように、一日の大方を調べ物で費やす余裕はありません。
だから、テレビや新聞、ラジオなどメディアは
もっときちんと、歴史で一体何が起きていたのかを、
毎日、たくさん、徹底的に流してほしいのです。
「『銃口』が今訴えること ~三浦綾子の遺言~」は、
敗戦の日8月15日に北海道のHTBテレビが放映したものだそうですが、
一年に一度の反戦番組では、余りにも……。
ちなみに、中国ではいまだに
抗日戦争のドラマを毎日どこかのテレビ局で放映しています。
三浦綾子さんの言葉を、何回も呟き咀嚼しています。
「戦場で火を噴く銃口もあるけど、それだけではない。
銃口はいつまでも、国民にむけられている。」
「銃口」が今訴えること ~三浦綾子の遺言~
ブルーはーとさんはスローガンが嫌いなようなので、
私が代わりに大きな声で叫びます。
「天皇制を廃止せよ」
①身内に言うなら、皆当然そう思っているので言う必要もないことであり、
②天皇制についてはっきりと反対していない、又はどちらかと言うと、あってもいいと思っている層に言うと、ただ反発されるか怖がられるかだと私は思います。
これ以上は言いませんけど。
中学生の頃か、母がテレビの『氷点』を見ているのを見て(なんだ、継子虐めの昼メロドラマか)と決めつけ、三浦綾子さんがその作家だと知ると、興味もわかず幾星霜状態でした。
さだまさしさんも同様で、宮坂さんのお勧め抜きに聞き直すことはまずなかったと思います。
しかし、最近、ネットの助けを借りて、ちゃっちゃと調べものができるようになったことで、少しは常識というか世間の基礎知識の抜け落ちを拾い集められるような気がします。子どもの頃、家にあまり本がなかったからねえ……。
おっしゃること、よくわかります。が、怖がられるのも反発されるのも、無関心よりはずっといいと思いますよ。反発から理解が進むこともありだと思います。
言わなきゃ伝わらんと思いますけどね。
100回言って、変わらなければ200回言うのが大切だと、まあ、私はそんな考えです。
ブルーハートさんは、天皇制について賛成もしくはどちらかというと、あってもいいと思っている人ですか?
だとしたら、ごめんなさい。