最近、毎日新聞の見出しと記事内容に冴えが見られる。
今日も今日とて下のような記事を見つけて、私はたいへん嬉しかった。
金平茂紀さんの名前はテレビも見ないのに何故か知っていたが、
記事を読んだのはおそらく初めてだ。
彼の経歴は、
1977年、TBS入社。社会部、「ニュースコープ」副編集長、
モスクワ支局長、ワシントン支局長、ニュース23編集長を務め、
2005年から報道局長、2008年からアメリカ総局長として
アメリカを中心に取材を続ける。
2004年度「ボーン・上田記念国際記者賞」を受賞。
とある。
なるほど、この記事はモスクワ支局長時代のエピソードなのか。
『かつての強大な政権与党=ソビエト共産党は、
気に入らない放送を流すような事態が起これば、
容赦なくその関係者らを呼びつけ処分した。』の部分、
ソビエト共産党を自由民主党に変えれば、全く今の日本の状況だ。
はやく、「かつての強大な政権与党」と言えるような日が来ますように。
お天道様に手を合わせて祈る日々です。
―――2015年04月24日 東京夕刊―――
週刊テレビ評:テレビに政権があられもなく介入した国の末路
「バック・イン・ザ・USSR!」=金平茂紀
かつて僕がソ連末期のモスクワで勤務していた時代の話を書こう。
今から四半世紀近くも前のことである。
その当時の国営テレビ、ゴステレの夜の定時ニュースは「ブレーミャ」という名前で、
その御用報道ぶりでよく知られていた。
そんななかで、ゴルバチョフ大統領の登場と共に
「グラスノスチ」=情報公開の波が徐々にではあるが、
かのソ連においても広がりつつあるかにみえた時期があった。
けれども、ゴステレにおいては、
「言論の自由」を掲げて果敢に報道する姿勢をみせた記者、キャスターらには
直ちに容赦のない弾圧が加えられていた。
「ブレーミャ」は生放送ではなく数秒遅れの疑似生放送の形式がとられていたが、
それは政府に不都合なことをチェックする(=カットする)ためだと言われていた。
1991年8月19日、
ゴルバチョフが保守派の企てたクーデターで身柄を拘束された際に、
「ブレーミャ」では、アナウンサーが重々しい口調で、
ゴルバチョフ大統領が病気になったため、
ヤナーエフ副大統領が大統領の職務を代行すると報じた。
国民にうそをついていたのである。
ところが、この保守派クーデターに反対するエリツィン・ロシア大統領に呼応して
市民が蜂起し、クーデターが挫折し、
ついにはソ連が崩壊するに至る事態が起きるや、
ゴステレでは大変なことがおきた。
それまで政権の言う通りの放送を流していたクラフチェンコ・ゴステレ会長が
エリツィンによって解任された。
それを聞いた市民らの間から歓声がわき起こった。
クラフチェンコ会長はその後、ゴステレの放送に登場し、
公開の場でその責任を追及されていた。
僕はそれらの番組をリアルタイムでみていた。
御用放送人の末路は必ずこのようになると確信した。
かつての強大な政権与党=ソビエト共産党は、
気に入らない放送を流すような事態が起これば、
容赦なくその関係者らを呼びつけ処分した。
さて、僕らの国にも放送法があって、報道の自由、言論の自由が守られている(はずだ)。
それらの法律は、戦前・戦中の暗黒時代の反省の上に、
究極的には国民の知る権利を守るために作られた法律だ。
その放送法を盾に、政権党が個別番組の内容に絡んで
テレビ局幹部を呼びつけ「事情聴取」した。
僕は、ああ僕らの国はあのソ連時代に向かっているのかと思った。
来日中のポール・マッカートニーなら
「バック・イン・ザ・USSR!」と皮肉まじりにシャウトするだろう。
でも、笑えないな。
ソ連は滅びた。(テレビ報道記者)
―――http://mainichi.jp/shimen/news/20150424dde018070046000c.html
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