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日本に戻り、晴耕雨読の日々を綴ります

「ナショナリズムは未来を拓くか?―んなわけないわ」 2013年7月11日(木) No.705

2013-07-11 17:18:45 | 日記
参議院選挙が迫ってきた。
安倍総理大臣は憲法96条を変えて、
憲法を易々と政治家の手でいじくり回せるようにしようとしている。
その先にあるのは、
もちろん軍備拡張・国民の権利の制限・戦争できる国づくりである。
「軍事オタク」の石破茂自民党幹事長は、
口を開けば日本を軍備増強させることばかり、
早く戦争できる国にしたくてたまらない人たちなのだ。

対外的には、中国・韓国と張り合い、
中国が提案する「尖閣諸島棚上げ」」を前提とした話し合いにも応じようとしない。
しかし、どこの誰が大声で主張しようと、
1970年代から1990年代において、
日本全土は「棚上げ論」が常識だった。
私はその時代、20代~40代で、
日本で生活していた一人の市民として証言する。
日本の政治家はその当時、公式の場で
「尖閣諸島は日本固有の領土であり、領土問題はあり得ない」
という主張などしていなかった。
「棚上げ論」があの保守的な読売新聞の論調だったのも記憶にある。
当時の新聞をちょっと調べたら、すぐに分かることだ。

私が(おや?「日本固有の領土説」を唱えているな)と思ったのは
前原(「口だけ番長」というニックネームのちゃらんぽらんな政治家)からだ。
彼は対米国追従派の政治家だそうだ。
本当に要らんことばかりする困った人だ。
で、そういう流れがその後どんどん定着し、
日本が棚上げなど認めたことなど一度もないと、
白を黒と言いくるめる人々が増えて、
今は多数決では「ずっと日本固有の領土だと主張し続けていた説」が
大勢を占めているように見える。

私はこういう、ずるいことが嫌だ。
歴史の事実を平気でなかったことにするセコ技が嫌いだ。
今のナショナリズムは、こんなセコくてずるい主張ばかりを展開している。
理論的右翼の人たちが聞いても情けなくなるという、
哲学も筋道もないお粗末で愚かしいものだ。

20世紀は戦争と対立の時代だった。
21世紀は、人々の英知がそれを乗り越えるはずだった。
今、日本のナショナリストは対立ばかりを煽っている。
私たちをどこへ連れて行こうとしているのか。
私はついていかない。
私はとどまる。
自分が良しとする場所に。
 
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