キラキラ

毎日の生活を写真と共に綴っていきます。

デンデラ

2011-07-30 03:41:00 | Weblog

27日(水)に以前から観たかった映画 『デンデラ』 の観賞に

行ってきました。

近くにアリオ東宝のシアターがあるのですが、そこでは上映されて

いません。

ネットで上映館を調べてみると、『梅田ブルク7』 であれば、観る

ことができると分かりましたが・・・。

ちと、遠い!! でも、でも 少し体調もましになって来たので行ってみることに決まり。

梅田ブルク7は、阪神デパートのすぐ近くにあって大阪駅から6~7分かかりました。

すごい!!映画でしたねぇ~。

家に帰ってから 「どうだった?」 と聞かれましたが、どう答えていいやら?

の世界でした。

 

(この記事を読んで、映画を観たくなりました。)

 

 

 

 

『生きる』 とはを考えさせられる、哲学的な問いかけも含んだ映画のようにも

思いました。

 

 

草笛光子さんが、演じる100歳の老婆は圧巻でした。

声の張りや、雪の中を闊歩する姿には、とても100才とは思えない力強さ

と言うか、生きることへの執念が感じられて怖いくらい!!!

 

 

 

(名演技の草笛光子さん)

 

 

浅丘ルリ子さん主演の映画ですが、出演依頼がきた時、随分迷った

ようです。

 

あの極寒の地の撮影に耐えられるかどうか? という思いもあった

と語っておられます。

 

 

 

老婆たちが、熊と戦うシーンでは、これでもか!! というほどの迫力がありました。

『生きるというのすごさ』 にただ、ただ感服あるのみ。

 

 

何かの本で読みましたが、年を重ねる方が生きるということに執着

するとか・・・。(分かるような気もして?)

 

 

 

 

(自分たちを捨てた村に復讐です。いざ、出発!!!)

 

 

 

捨てられた50人の老婆が集団生活をして、自分たちを捨てた村に復讐を

するというストーリーは、凡人には考えられない思考過程ですねぇ~。

その発想がおもしろいなぁ~、と思います。

 

 

 

(最初は、誰か分からなかったのですが、ストーリーが進むうちに山本陽子さんと

 分かりました。)

 

 

 

また、山形の庄内地方の雪景色がとてもきれいでした。

あの汚い衣装や、しわだらけの顔々のアップのなかて

雪山だけがきれいに輝いて見えました。(~笑い~)

 

 

(復讐に反対する平和主義者の倍賞美津子さん)

 

 

 

撮影は、雪の降る山で行われましたが、雪は1種類ではなくて

粉雪やボタン雪など何種類もの雪が降ります。自然の素晴らしさには、人の芝居

はかなわない。見方を変えれば、自然は最高に素晴らしい舞台でもあると

言えます。と浅丘さんの弁(~なるほど~と思いましたね。)

 

 

 

 

 

 

そして、『デンデラ』 の意味をネットで調べてみると、次のような

ことが分かりました。

『デンデラ野』 としての意味になります。

 デンデラ野は、遠野物語にも出てきますが

 

その語り手の

佐々木喜善(きぜん)の生家のある地域で、遠野から釜石へ

抜ける古道の遠野側最後の集落でもある。

その佐々木喜善生家の南側の丘陵をデンデラ野と言う。

 

 

 

遠野物語にはデンデラ野について3つのエピソードが載っていますが

その中の1つには、

 

《デンデラ野は昔60歳になった老人を捨てた場所だという。

昔は村ごとにデンデラ野と呼ばれる場所があったという。》

の説明があります。

 

ある資料では 

 

姥捨て譚は大きく分けて三つの型に大別される。

殿様や国王が姥捨てを命令するが、ある親孝行な村人が

難題を解いて国難を解決したために、その命令が廃止される

「難題型」と、息子がもっこに親を乗せて棄てて帰り、

用が済んだとしてもっこも捨てようとするが、子に後で必要になるから

とっとけ、と言われて改心する「もっこ型」、棄てられる老婆が道すがら

小枝を折って、帰る子の道しるべにする姿を目の当たりにした息子が

棄老を中止する「愛情型」である。

 

 

(楢山節考の今村昌平監督の息子さんの天願大介監督がメガホン

 をとりました。)

 

 

遠野地方では高齢になった村人は、村外れの野原に移り住み、

 

耕作を続けながら余生を送るのだという。そこには「楢山節考」 

のような、悲惨で陰鬱な姥捨て山イメージはなく、むしろ隠居と 

いうニュアンスがつよい。

 

 

 

 

(記念に買い求めたパンフレットです。白い点は、雪を象徴して

 いるのでしょうか。)

 

 

なぜ老人が一箇所に集まったのかは不明だが、デンデラ野が 

かつては本村だったという可能性もある。つまり現在の村の方が 

若者らによって切り開かれた新村で、老人らはその発展を見届けた上で

 

親村に「引退」し、懐かしい生家の中で死を迎えた。世代を経るごとに 

元々の意味は失われたが、よそに引退する風習だけは残った

 

というものである。

 

 

 

 

 

 

ところで「デンデラ」という言葉だが、これには「蓮台」 

という漢字が当てられている。もっとも「レンダイ」と「デンデラ」では

 

余りに発音が違いすぎて、こじつけ感は否めない。おそらく同じ終焉の地 

ということから、とある文化人が京都の火葬場の名をとって

 「蓮台野」と名づけたのだろう

 

 元々の意味としては、「でんでん太鼓」という言葉に残っている

 ことから分かるように、太鼓や鐘の音を示しているということが 

考えられる。そして、もう一つは、「でんでん虫」や「でんでら竜」のように 

「出る・出られない」という意味があるとも思われる。

 

 

 

 

 

(デンデラ野の付近の様子)

 

 

 姥捨て地としてはふさわしい語義だが、遠野のデンデラ野は

 

そのような強制隔離地ではなかったので、むしろ「出んに出られん」

 

という言葉は老人の心中を語った言葉と考えた方がいいかもしれない。

 

つまり出て村に戻ったところで自分の居場所が無いから出られん、という心境を

 

端的に表した言葉が「デンデラ」というわけだ

 

 

長いブログになりましたが、

棄老伝説などのことが色々分かって、うれしかったですねぇ~。

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする