大坂なおみ選手が全米オープンに優勝し、3度目のメジャータイトルを手にしました。
この優勝は、大坂なおみが毎試合着けていたマスクでも話題になりました。大坂は、これまでに人種差別の犠牲になった黒人たちの名前の印刷されたマスクをしていたのですね。アメリカやその他の国々に今も根強く残る人種差別に対するメッセージです。
私はこのニュースを見ながら、子供の頃のことを思い出しました。
私の家は大家族で、両親、兄、祖父母、叔母の7人暮らしでした。祖母は謡曲の師匠、伯母は小唄の師匠をしていて、家の2階を稽古場に、曜日をかえてお弟子さんたちを教えていました。
小唄の弟子の一人に、立ち居振る舞いの粗野な年配女性がいました。
いつもきまって玄関では靴を乱暴に脱ぎ捨て、階段を大きな足音を立てて駆け上がっていきます。
私と兄は、そのお弟子さんのことを「靴ポンおばさん」と呼んで、笑っていました。
彼女が、ある時から、小さな子ども二人を連れて、お稽古に通ってくるようになったのです。
「あの子たち、合いの子よ。こんど、そっとのぞいてごらん、真っ黒だから」
合いの子などという差別用語が、ふつうに使われている時代でした。私も兄も、外国人と言えばテレビでしか見たことがなく、興味津々でしたが、なんか恐いような気がして、結局、覗き見をすることもありませんでした。
伯母から聞いた話では、そのお弟子さんの娘が、米軍基地で働いていて、黒人兵士との間に双子ができたとのこと。離婚したのか、そもそも結婚していなかったのかはわかりません。娘が働きに出ている間、おばあさんが預かって面倒をみているそうなのです。
「髪の毛がちりちりで、目がクリっとしていて、かわいいわよ。おばあちゃんより、よっぽどお行儀がいいわ」
しばらくしてそのお弟子さんはやめてしまい、わが家に来ることはなくなりましたが、通りで、二人の黒い子どもを連れて買い物をする「靴ポンおばさん」をときどき目にしました。
その後、その子たちの消息は聞いていません。学校にあがってからは、級友たちの好奇の目にさらされ、からかわれたり、いじめられたりしたであろうことは、容易に想像できます。
時代は流れ、50年後の今、東京、大阪などの大都市や、観光地は外国人であふれ、黒人を目にすることも珍しくなくなりました。
人種差別は悪いこととされ、表立って差別的な言葉を吐くことはなくなり、実際になんら差別意識をもたずに接することができる若い世代も増えました。
年末に生まれてくるはずの孫の一人も、フィリピンのイゴロット(山岳民族)とのハーフです。いまや、家族に外国人を迎えるまでに、外国人の存在は「ふつうのこと」になりつつあります。
隔世の感があります。
さてお隣の韓国はどうでしょう。
朝鮮戦争で米軍や国連軍の参戦があり、その後も米軍基地にたくさんの米兵が常駐していたため、韓国は、早い時期から外国人、黒人との接触が多かったはずです。
そして、彼らとの間に多くの混血児(ホニョラ)が生まれました。儒教文化の中で、日本以上に血統を重視する韓国社会において、ホニョラは厳しい目が向けられ、遺棄されたり、孤児となったりした子どもたちは、米国に養子に出されました。障害児と混血児の「輸出」は、知る人ぞ知る韓国の恥部です。
昨年、こんな本が刊行されたそうです。
2019年7月14日付「プレシアン」(リンク、韓国語)
組織的人身売買国家、韓国の素顔
『子どもを売る国』
韓国は世界最大の児童輸出国だ。一人当たりの国民総所得が三万ドルを超えた国家の恥ずかしい現実。人権に無知なわが国の素顔だ。
韓国の児童輸出は、李承晩政権時代の1953年に始まった。その後、19回の政権交代があったが、その間、私たちは、海外に養子に出された人の人生を、時折テレビに出てくる感動的なドキュメンタリーの断片としてやり過ごした。本人の意志に関係なく、国家の輸出品に転落させられ、異国で人生を切り開かねばならなかった彼らの痛みは、私たちの関心の外におかれていた。実相は、感動神話とは程遠いものだった。
『子どもを売る国』は、現役記者、社会活動家、海外養子の当事者がいっしょになって韓国の児童輸出の実態を暴いた本。「プレシアン」に「韓国海外養子の65年」と題して連載された企画記事を1冊にまとめたものだ。
李承晩時代、海外養子の口実は、戦争孤児の救済だった。しかし、本書はその実態を「一種の人種浄化」と見ている。
1955年から1961年の間に海外に養子に出された子どもは、すべて混血児だった。李承晩は人種差別主義者だった。純血主義を標榜した彼の政治的信条は、一国一民(単一民族国家)だった。李承晩にとって、肌の色が違う子どもは韓国人ではなかった。外部者は追い出さなければならなかった。本書は、両親が厳然として存在する子どもさえも海外に追い出された例を告発している。
路頭をうろつく子どもを片づけるという名目は、海外養子の正当化に役立った。浮浪児は孤児とされ、すぐさま海外に「片付けられた」。突然の不幸に見舞われた両親は、一生わが子を探してさまよい、不意に姿を消した子どもは、異国のまったく新しい環境で人生を切り開いていかなければならなかった。よくない養父母に当たってしまったら? 悪い環境に置かれたら? 韓国は、彼らの国ではなかった。
政権は変わったが、海外養子はむしろ急増した。朴正煕政権の海外養子奨励の目的は、経済発展だった。浮浪児が姿を消せばそれだけ国家の福祉負担は減った。政権は孤児養子特例法まで作って「効率的かつ即時の」海外養子システムを作り出した。本書はこれを「事実上の追放政策」だったと批判している。
朴正煕政権が作った養子システムは、全斗煥政権で爆発的に活用された。全斗煥政権は、移民拡大と民間外交を名目として、児童を外国に売り払った。1980年代には、10年間で65,511人の児童が海外で養子縁組された。
1984年から1988年まで、年間出生数の1%以上の子どもたちが海外へ養子に出された。この時期に幼少期を過ごした多くの韓国人は、両親から「外で遊ぶと乞食に捕まるぞ」という脅しを聞きながら育ったはずだ。その乞食の中で最も強力だったが、ほかならぬ政府だった。「これは、密かな人身売買や拉致などの不法な海外養子が国際社会の非難の的になっているグアテマラ以外には、どこにも見当たらないケースだ」。
養子のほとんどはアメリカに引き取られた。全体の70%が米国に行った。米国は養子の代価としてお金を支払った。1965年、韓国の一人当たりGDPは106ドルだった。1960年代、一人の子どもの海外養子の代価として、約130ドルが支払われた。韓国は組織的に子どもたちを人身売買し、金を稼いだ国だった。
本書を書いた記者は、プレシアンで政治部、社会部などを担当した。女性と子どもの人権問題に関心をもって取材するうちに、海外養子問題を集中的に扱うようになった。アムネスティ・インターナショナル韓国支部のイ・ギョンウン事務総長と、実際の養子であるジェーン・チョン・トレンカ氏が、いっしょに執筆した。本書のもとになった報道は、2017年7月、民言連が選ぶ「今月の報道賞」と2017年のアムネスティ言論賞、2018年の第7回人権報道賞を受賞した。
昨年刊行された本書が、韓国でどれくらい話題になったかはわかりません。
大坂なおみの快挙は、着けていたマスクのことも含め、韓国では淡々と報道されていますが、特に、米国の黒人差別について深く掘り下げた記事は、今のところ見当たりません。
コロナ禍や経済問題、若年失業率の上昇などでそれどころではないということなのでしょう。
この優勝は、大坂なおみが毎試合着けていたマスクでも話題になりました。大坂は、これまでに人種差別の犠牲になった黒人たちの名前の印刷されたマスクをしていたのですね。アメリカやその他の国々に今も根強く残る人種差別に対するメッセージです。
私はこのニュースを見ながら、子供の頃のことを思い出しました。
私の家は大家族で、両親、兄、祖父母、叔母の7人暮らしでした。祖母は謡曲の師匠、伯母は小唄の師匠をしていて、家の2階を稽古場に、曜日をかえてお弟子さんたちを教えていました。
小唄の弟子の一人に、立ち居振る舞いの粗野な年配女性がいました。
いつもきまって玄関では靴を乱暴に脱ぎ捨て、階段を大きな足音を立てて駆け上がっていきます。
私と兄は、そのお弟子さんのことを「靴ポンおばさん」と呼んで、笑っていました。
彼女が、ある時から、小さな子ども二人を連れて、お稽古に通ってくるようになったのです。
「あの子たち、合いの子よ。こんど、そっとのぞいてごらん、真っ黒だから」
合いの子などという差別用語が、ふつうに使われている時代でした。私も兄も、外国人と言えばテレビでしか見たことがなく、興味津々でしたが、なんか恐いような気がして、結局、覗き見をすることもありませんでした。
伯母から聞いた話では、そのお弟子さんの娘が、米軍基地で働いていて、黒人兵士との間に双子ができたとのこと。離婚したのか、そもそも結婚していなかったのかはわかりません。娘が働きに出ている間、おばあさんが預かって面倒をみているそうなのです。
「髪の毛がちりちりで、目がクリっとしていて、かわいいわよ。おばあちゃんより、よっぽどお行儀がいいわ」
しばらくしてそのお弟子さんはやめてしまい、わが家に来ることはなくなりましたが、通りで、二人の黒い子どもを連れて買い物をする「靴ポンおばさん」をときどき目にしました。
その後、その子たちの消息は聞いていません。学校にあがってからは、級友たちの好奇の目にさらされ、からかわれたり、いじめられたりしたであろうことは、容易に想像できます。
時代は流れ、50年後の今、東京、大阪などの大都市や、観光地は外国人であふれ、黒人を目にすることも珍しくなくなりました。
人種差別は悪いこととされ、表立って差別的な言葉を吐くことはなくなり、実際になんら差別意識をもたずに接することができる若い世代も増えました。
年末に生まれてくるはずの孫の一人も、フィリピンのイゴロット(山岳民族)とのハーフです。いまや、家族に外国人を迎えるまでに、外国人の存在は「ふつうのこと」になりつつあります。
隔世の感があります。
さてお隣の韓国はどうでしょう。
朝鮮戦争で米軍や国連軍の参戦があり、その後も米軍基地にたくさんの米兵が常駐していたため、韓国は、早い時期から外国人、黒人との接触が多かったはずです。
そして、彼らとの間に多くの混血児(ホニョラ)が生まれました。儒教文化の中で、日本以上に血統を重視する韓国社会において、ホニョラは厳しい目が向けられ、遺棄されたり、孤児となったりした子どもたちは、米国に養子に出されました。障害児と混血児の「輸出」は、知る人ぞ知る韓国の恥部です。
昨年、こんな本が刊行されたそうです。
2019年7月14日付「プレシアン」(リンク、韓国語)
組織的人身売買国家、韓国の素顔
『子どもを売る国』
韓国は世界最大の児童輸出国だ。一人当たりの国民総所得が三万ドルを超えた国家の恥ずかしい現実。人権に無知なわが国の素顔だ。
韓国の児童輸出は、李承晩政権時代の1953年に始まった。その後、19回の政権交代があったが、その間、私たちは、海外に養子に出された人の人生を、時折テレビに出てくる感動的なドキュメンタリーの断片としてやり過ごした。本人の意志に関係なく、国家の輸出品に転落させられ、異国で人生を切り開かねばならなかった彼らの痛みは、私たちの関心の外におかれていた。実相は、感動神話とは程遠いものだった。
『子どもを売る国』は、現役記者、社会活動家、海外養子の当事者がいっしょになって韓国の児童輸出の実態を暴いた本。「プレシアン」に「韓国海外養子の65年」と題して連載された企画記事を1冊にまとめたものだ。
李承晩時代、海外養子の口実は、戦争孤児の救済だった。しかし、本書はその実態を「一種の人種浄化」と見ている。
1955年から1961年の間に海外に養子に出された子どもは、すべて混血児だった。李承晩は人種差別主義者だった。純血主義を標榜した彼の政治的信条は、一国一民(単一民族国家)だった。李承晩にとって、肌の色が違う子どもは韓国人ではなかった。外部者は追い出さなければならなかった。本書は、両親が厳然として存在する子どもさえも海外に追い出された例を告発している。
路頭をうろつく子どもを片づけるという名目は、海外養子の正当化に役立った。浮浪児は孤児とされ、すぐさま海外に「片付けられた」。突然の不幸に見舞われた両親は、一生わが子を探してさまよい、不意に姿を消した子どもは、異国のまったく新しい環境で人生を切り開いていかなければならなかった。よくない養父母に当たってしまったら? 悪い環境に置かれたら? 韓国は、彼らの国ではなかった。
政権は変わったが、海外養子はむしろ急増した。朴正煕政権の海外養子奨励の目的は、経済発展だった。浮浪児が姿を消せばそれだけ国家の福祉負担は減った。政権は孤児養子特例法まで作って「効率的かつ即時の」海外養子システムを作り出した。本書はこれを「事実上の追放政策」だったと批判している。
朴正煕政権が作った養子システムは、全斗煥政権で爆発的に活用された。全斗煥政権は、移民拡大と民間外交を名目として、児童を外国に売り払った。1980年代には、10年間で65,511人の児童が海外で養子縁組された。
1984年から1988年まで、年間出生数の1%以上の子どもたちが海外へ養子に出された。この時期に幼少期を過ごした多くの韓国人は、両親から「外で遊ぶと乞食に捕まるぞ」という脅しを聞きながら育ったはずだ。その乞食の中で最も強力だったが、ほかならぬ政府だった。「これは、密かな人身売買や拉致などの不法な海外養子が国際社会の非難の的になっているグアテマラ以外には、どこにも見当たらないケースだ」。
養子のほとんどはアメリカに引き取られた。全体の70%が米国に行った。米国は養子の代価としてお金を支払った。1965年、韓国の一人当たりGDPは106ドルだった。1960年代、一人の子どもの海外養子の代価として、約130ドルが支払われた。韓国は組織的に子どもたちを人身売買し、金を稼いだ国だった。
本書を書いた記者は、プレシアンで政治部、社会部などを担当した。女性と子どもの人権問題に関心をもって取材するうちに、海外養子問題を集中的に扱うようになった。アムネスティ・インターナショナル韓国支部のイ・ギョンウン事務総長と、実際の養子であるジェーン・チョン・トレンカ氏が、いっしょに執筆した。本書のもとになった報道は、2017年7月、民言連が選ぶ「今月の報道賞」と2017年のアムネスティ言論賞、2018年の第7回人権報道賞を受賞した。
昨年刊行された本書が、韓国でどれくらい話題になったかはわかりません。
大坂なおみの快挙は、着けていたマスクのことも含め、韓国では淡々と報道されていますが、特に、米国の黒人差別について深く掘り下げた記事は、今のところ見当たりません。
コロナ禍や経済問題、若年失業率の上昇などでそれどころではないということなのでしょう。
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