フィギュアスケートの世界選手権。
日本人の多くが期待した浅田真央は6位に終わり、本命だった韓国の金妍児(キム・ヨナ)はショートプログラムが一位だったにもかかわらずフリーでジャンプを失敗。結局、安藤美姫が4年ぶりの優勝という、嬉しい誤算(ミキティーごめんなさい)に終わりました。
韓国の聯合通信ニュースに金妍児のインタビューが載っていました(→リンク)。日本語版には翻訳もあるのですが(→リンク)、日本人向けに省略されており、一部誤訳も見られるので訳し直しました。
〈金妍児インタビュー〉
「ミスをしたけれど、よく打ち勝ったと思う」
「アイスショーを終えて平昌オリンピック誘致活動に集中」
「学校に通って、どんなところなのか実感してみたい」
【モスクワ1日聯合ニュース】
「フィギュアの女王」金妍児(21歳、高麗大)にとって今シーズン最初で最後の競技となった世界選手権大会が幕を下ろした。
13か月ぶりに氷上に戻ってきた金妍児は、長いブランクに対する不安を乗り越え、惜しくも準優勝したあと、「今回とった銀メダルはこれまでに獲得したメダルとはちがう」と意味づけた。
金妍児は1日、大会を終えたあと、モスクワ・メガスポルートアリーナで韓国の取材陣のインタビューにこたえて今大会を振り返り、13か月ぶりの復帰戦の所感を詳しく述べた。
久しぶりに臨んだ競技の緊張からしばし解放された金妍児は、明るい表情でこれまで大会に備えてきた過程と、これからの計画について虚心坦懐に語った。
◇「本当にほっとした」
金妍児は惜しくも安藤美姫(日本)に逆転を許し、金メダルの目標を達成できなかったが、結果に満足していると語った。
金妍児は「今まで半年間、この大会一つに集中して準備したが、すべてが終わり、本当にほっとしている」「ミスもあったし、練習のようにはいかず残念だけれども、結果的に満足している」と語った。
そして「今大会は新しいプログラムを披露する場だったので、結果にこだわるより、良い演技で評価されることが目標だった。点数や結果に大きな意味を置かなかった」「ミスはしたが、それでもよく打ち勝ったと思う」と付け加えた。
さらに今回の銀メダルは、今までもらったメダルとはちがう意味があると述べた。
2009~2010年のシーズンののちにやってきた心理的虚脱感に打ち勝ち、再び氷の上に立つモチベーションを得たということが、今回の銀メダルを特別なものにした理由なのだ。
金妍児は「昨年の冬季オリンピックを終え、もう一度競技に立ち向かう決心をしたあとも、何度も危機に見舞われた」「気を取り直し、うまくいきそうに思っても、急に「私はなぜここでこんなことをしているんだろう。私はいったい何をしているんだろう」という思いにとらわれることが多かった」と語った。
肉体的には数年間鍛えてきた体力があり大きな困難はなかったが、精神的にもう一度気を取り直し、モチベーションをえるのはたやすいことではなかったと打ち明けた。
金妍児は「ここまで来るのは大変だったが、それによく打ち勝った、ということに対して与えられた賞ではないか」「金メダルではなかったが、銀メダルであれ銅メダルであれ、やるべきことをやり遂げたことに与えられた賞」と自ら評した。
◇新しい環境が困難克服に役立った
話題は自然に、心理的困難に打ち勝ち新たに氷上に復帰するまでに経験したこれまでの13か月のことへと移った。
2010年のバンクーバー冬季オリンピックで金メダルをともに勝ち取ったブライアン・オーサーコーチと昨年の夏に決別した金妍児は、10月、練習の場所をカナダのトロントから米国ロスアンゼルスに移し、ピーター・オペガード氏を新たなコーチに選んだ。
金妍児は「新しい環境と新しいコーチ、また新しい人たちと一緒にやったおかげで、それまでの困難を乗り越え、いくらかでも気持ちよく練習できたようだ」と語った。
さらに「実際の競技でよい結果を出せなければ批判されるのではないかという心配はあったが、安定した気持ちで練習するのには役立った」と説明した。
金妍児は、トロントで3~4年を過ごし、自分の家のような気分だったが、米国でもそのような気分になれたと語り、新しい環境への適応になんの問題もなかったことを窺わせた。
オペガードコーチは、金妍児が憧れていた伝説的フィギュアスケーターのミシェル・クワンの義兄だ。
これについて「クワンから特にアドバイスを受けたことはなかった」「上手だからそのままやればいいという言葉をときどきかけてもらった。クワンは自分からアドバイスをするというより、黙って後ろから自信を持たせてくれるスタイル」と伝えた。
◇「もう一度パリに行きたい…スケートは忘れて」
昨年2月のバンクーバー・オリンピックの後、ぜひしたいと思っていた旅行がほとんどできなかったと語った。
今後旅行できるならフランスのパリにもう一度行きたいという金妍児は、笑いながら、「スケート靴は持っていかない。リンクのそばにも近づかないつもり」と語った。
金妍児は今月中旬に国際オリンピック委員会(IOC)のイベントが開催されるスイスのローザンヌを訪問し、7月には南アフリカのダーバンへ飛ぶ。
これについて「両国ともに初めて行く」「日程が詰まっていて時間があるかどうかわからないが、事情が許せば楽しめるだけ楽しみたい」と語った。
◇「平昌(ピョンチャン)は完璧な準備が長所…カタリーナ・ピートとの競争が興味をひくだろう」
金妍児がローザンヌとダーバンに行く理由は、2018年の平昌冬季オリンピック誘致活動のためだ。
平昌冬季オリンピック誘致委員会広報大使、選手委員に任命された金妍児は、2日に帰国しアイスショーの日程(6~8日)を消化した後、本格的に誘致支援活動に合流する計画だという。
平昌が冬季オリンピック誘致に挑戦するのは3回目なので、どの都市よりも完璧に準備ができていると評価した金妍児は、そこが平昌の長所という見解を述べた。
金妍児は4月初め、英国のロンドンで開かれた国際競技団体行事「スポーツ・アコード」における平昌プレゼンテーションに参加する予定だったが、急遽、日程と場所が変更になった今回の世界選手権の準備のために、この日程をキャンセルした。
金妍児は「今大会でよい結果を得たことも、少しは役立つだろう」「選手として、私が平昌のためにできるいちばん大きな仕事だったと思う」と語った。
今回の冬季オリンピック誘致合戦で、金妍児は世界選手権4回優勝に輝くフィギュアのスター、カタリーナ・ビート(ドイツ)と競争することになった。
ビートは、競合する都市、ミュンヘンの誘致委員長として誘致戦の前面に立っている。
金妍児は「二人のフィギュアスケート選手が自分の国を代表して競争するのだから、面白がる人も多いかもしれないが、二人だけのけんかではないので、あまり考えたことはない」と語った。
金妍児は「ビートは、私が生まれる前の選手」「彼女の演技から多くを学んだ」と付け加えた。
◇現役続行についての悩みは「進行形」
今後の計画については、「次のシーズンのことまで、まだ考えられない」「家に帰って予定されているアイスショーの準備と平昌誘致活動に集中するつもり」と即答を避けた。
ただ、「次のシーズンだからといって、楽ではない。そのときにならなければわからないが、心理的な葛藤を避けるのは簡単ではなさそう」と述べ、現役を続けるかどうかについての悩みが続いていることをうかがわせた。
昨シーズンを終えた後、金妍児は「現役を続けるとすれば、それは現在の実力をずっと維持できそうだとの考えからであって、続けないとすれば、競技のたびに多くのストレスを受けるからだ」と語ったことがある。
今回のインタビューでも、「当時の悩みは依然として進行形だ」と語った。
フィギュア選手以外の人生についても、少し関心をみせた。
まず、「学生なのに練習のために学校にあまり行けない。機会があれば学校に通って、いったいどんなところなのか実感してみたい。そうしたことをみな経験してから卒業したい」と語った。
また、遠い未来のことと断りつつ、国際スポーツ外交活動にも関心があると語った。
「周りから何度も「いずれぜひIOC委員になるように」と言われるが、選手としてのキャリアを重ねたあとにそうした道に進むことについては肯定的に考えている」。そう言いつつも、金妍児は「まだ現役を終えたわけでもなく、ずっと先のことなので、これまで具体的に考えたことはない」と付け加えた。
オリンピックで完璧な金メダルをとり、国民的な英雄になったあと、国民の期待が大きな重圧になっていたことが窺えます。
全国民の注目を集め、引退するわけにもいかず、行きたかった旅行にも行けず、コーチとの不和を報じられ、練習の拠点を移し…。高麗大学に特待生で入学なんていうのもいい迷惑だったかもしれません。
本当に「お疲れさま」と言ってあげたいです。平昌誘致なんかに引きずり回さずにそっとしておいてあげればいいのに。
中央日報はコラムで「キム・ヨナの涙はわれわれに最高の贈り物だった」と、健闘を讃えています(→リンク)。
「われわれにはキム・ヨナがいる。昨夜の競技がそれを確認させてくれた。技術的なミスがあろうがなかろうが彼女の演技は最高だった。表彰台での彼女の涙はとりわけ最高だった。「アリラン」の旋律から始まり涙で終えた彼女の競技はすべての国民にカタルシスの絶頂を贈った」
「彼女の涙を見て初めて悟ったことがある。メダルの色が重要ではない競争もあるということを。世界最高の舞台から来た世界の人の耳目が集中したスタープレーヤーが、韓国の山水画が刺繍されたドレスを着て「アリラン」を踊る姿を見たことだけでも私たちは幸せだったということを」
「長く競争で勝つことだけを目標に走ってきた韓国人に彼女の完璧な2等は、だから価値のある経験だった。2等でもくやしくなく、感動的であり、自負心だけは満たされるということを彼女によって知ることになった。キム・ヨナに感謝する。彼女はやはり“女王”だ」
韓国人が、「2等でもくやしくない」ということを知ったのは大きな収穫だったかもしれません。しかし、二十歳そこそこの少女に「アリラン」だの「山水画」だのと言って「国」を背負わせようとすることが、いかに彼女のプレッシャーになっていたか。そんなことも考えてあげたらなあと思います。
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その健闘をたたえられる日がくるとは、
ヨナも思っていなかったでしょう。
本当によかったです。
これからは若い女の子として恋愛や
勉学など「年相応の青春」を謳歌
する時間を持ってほしいものです。
もちろん真央ちゃんも!
犬鍋さん、翻訳おつかれさまです!
それにしても、ミシェル・クアンというのは金メダルこそとれなかったものの、日本、韓国、中国などアジアのスケーターに自信を持たせてくれた偉大な存在だったのだなと思わされました。
ああならないことを願うばかりです。
今は上位を独占。隔世の感です。