また困った記事が出てしまいました(→記事)。
要約すれば,
日帝時代に朝鮮半島で小学校教師をしていた池田政枝さんという方が,教え子の小学生6人を「女子挺身隊」として富山県の軍需工場に送った。戦後,自らの行為を反省した池田さんは,自分の半生を本にし,講演活動をし,年金を市民団体に寄付,「懺悔の年賀状」を出し続けてきた。その池田さんが亡くなった。
ここで池田さんが日本に送ったのは,記事にはっきり書かれているとおり,「勤労挺身隊」。あの当時,日本の女性たちがひとしく動員された勤労奉仕でした(私の母も叔母も学校そっちのけで働かされた)。
しかし,記事の後半に行くと,
「『挺身隊動員は民間業者がしたことだ』と白を切る日本政府」
とか
「池田さんの証言は、挺身隊と日本軍慰安婦問題の責任逃れを図ってきた日本政府が事実を認め、公式謝罪をするようにした大きな契機の一つとなった」
など,「従軍慰安婦」と結びつけられており,あたかも「池田さんの弟子の小学生」が「勤労挺身隊」の名目で「従軍慰安婦」にされたというふうな誤読を誘う記事になっている。
極めて悪質です。
実は,この件,前に一度大きく報道されたことがある。92年,当時の宮沢外相が訪韓する直前を狙って,「小学生までが女子挺身隊」にされたと韓国のマスコミが一斉に報じたのです。
当時,韓国で「挺身隊=従軍慰安婦」でしたから,韓国世論は「小学生までも性的犠牲に供した」ということで激昂し,その結果,宮沢外相は屈辱的な「謝罪」を強要されました。
東亜日報は社説で「12歳の小学生が恐ろしい強制性の介入なしに,自発的に戦場の性的玩具となっただろうか」とまで書いている。
この経緯は,西岡力『日韓誤解の深淵』(亜紀書房,1992)に書かれていますので,少しく引用してみましょう。
「植民地時代の韓国で小学校の先生をしていた日本人の婦人が朝日新聞に投書した。自分は昔,「京城」(現ソウル)で小学校の教師だったが富山県の軍需工場に勤労挺身隊として6人の6年生の女の子を送った。そのうち5人は敗戦後,無事帰ってきたが,一人は帰ってきたのを見届ける前に自分は日本に引き揚げてしまった。それが心残りで,その消息をだれか教えてくれないか,と。
その投書を富山テレビが見て,ソウルに行ってその人を探すという番組の企画を立てた。事前にソウルに駐在するネット局の特派員に調査を依頼したところ,帰ってこなかった子どもは実は無事だったことがわかった。ソウル駅で両親の迎えを受けて,そのまま田舎に帰ってしまい先生に連絡しなかっただけだった。もちろん,軍需工場で働かされただけで慰安婦とは何の関係もない。
ところが,その先生が91年夏ソウルに行って元挺身隊員の教え子に会いたいと連絡をしたところ,彼女らはみな会うのを断ってきた。韓国社会では挺身隊というと慰安婦だと思われるので,ご主人にも子供たちにも軍需工場で数カ月働かされたことを秘密にしていた。だから先生には会いたいがテレビに出るのは絶対いやだというものであった。富山テレビは彼女らのそのような事情を知りながらも,自分たちの番組作りの都合を押し通そうとして,間に入ったキー局の関係者らに絶対にそれはしないでくれといわれていたのに,ご主人のいる夜にテレビ局の名を言って元教え子の家に電話をかけてしまった。
そのため,その家庭では深刻な家庭争議が起きてしまったのである。韓国人被害者の立場から日本を糾弾するかのような番組を作ろうとして,結局のところ韓国人を傷つけてしまっただけということだ。
そのうえ,この番組の話を聞きつけたある韓国人記者が宮沢訪韓の直前に「12歳の小学生を挺身隊にした」という記事を書き,韓国人のひどい誤解を作り出したのだ。」
これが記事では
「弟子らは『日本であったことは考えたくもない』と言い、彼に会おうともしなかった。1945年12月にようやく日本に帰った後、『韓国方面の空は見上げることさえできないほど』良心の呵責に苦しんでいた池田さんは、1991年4月になってやっと行方が分からなかった弟子1人の消息を風の便りで知った。彼は富山のあるテレビ局の企画取材班とともに3ヵ月間その弟子を探し歩き、韓国で弟子に会うことができた。」
ということになっちゃうんですね。
著者,西岡力氏は当の韓国人記者,「聨合通信」の金ヨンジュ記者に取材したところ,
「この6人の児童が慰安婦でなかったことは知っていたが,まず勤労挺身隊として動員し,その後慰安婦にさせた例があるという話も韓国内では言われているので,この6人以外で小学生として慰安婦にさせられた者もいるかも知れないと考え,敢えて『勤労挺身隊であって慰安婦ではない』ということは強調しないで記事を書いた」
と答えた。
この西岡氏の本などで,日本では完全に否定された「誤報」なのですが,韓国では一般に誤報訂正記事は書かれないので,いまだに韓国人の中には,「日本が小学生を従軍慰安婦にした」と信じている人が多いです。
たとえば,現行の韓国高校国定国史教科書には,次のような内容が資料として載せられています。
資料 日本軍慰安婦の実相
日本帝国主義は1932年ごろから侵略戦争を拡大していき,占領地区で「軍人たちの強姦行為を防止し,性病感染を防止し,軍事機密の漏洩を防ぐため」という口実で,わが国と台湾および占領地域の10万から20万名におよぶ女性たちを,騙しと暴力を通じて連行した。彼女らは,満州,中国,ミャンマー,マレーシア,インドネシア,パプアニューギニア,太平洋にある島々と日本,韓国などにある占領地で,性奴隷として酷使された。
11歳の幼い少女から30をこえる成年にいたるさまざまな年齢の女性たちは「慰安所」に押し込められ,日本軍人たちを相手に性的行為を強要された。……彼女たちは軍隊とともに移動したり,トラックに乗せられて軍隊を巡ったりした。彼女たちの人権は完全に剥奪され,軍需品,消費品扱いを受けた。
戦争が終わったあと,帰国しない被害者たちのなかには,現地に捨てられたり,自決を強要されたり,虐殺された場合もある。運良く生存し,故郷へ帰って来た日本軍「慰安婦」被害者たちは,社会的な疎外と羞恥心,貧しさ,病気がちになった体のために,一生を呻吟しながら生きていかなければならなかった。
「韓国挺身隊問題対策協議会 教育資料1」(教育人的資源部『高等学校 国史』2002年版343ページ)
ここにはっきり「11歳の幼い少女」と書かれていますが,これは明らかに池田さんに関する誤報を根拠にしています。
92年の誤報を「韓国挺身隊問題対策協議会」という札付きの団体が資料集に載せ,それを「国定教科書」が中身の検証をすることなしに採用してしまう。
まったく困ったものです。
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ざっと読むだけでは騙されてしまいそうになる書き方。
しかしこの先生が挺身隊を勧めた子供が慰安婦に
なった具体的な実例はひとつも書かれていない。
こんなことでジャーナリズムが成り立つんでしょうか。
工場へ送り出した教え子の消息がわからなくて心配したけれども,無事が確認されて「ああよかった」。普通なら,ハッピーエンドで終わるはずのもの。
従軍慰安婦にされたわけでもない。死んだわけでもない。炭鉱で重労働をさせられたわけでもない。
当時,日本の婦人がひとしくさせられていた「工場労働」でしょう。
なんで「韓国方面の空は見上げることさえできないほど」良心の呵責に苦しんじゃったのかなあ。
まったくもって不思議です。
きっと,富山テレビの「良心的ディレクター」や,澤田純三さんみたいな「良心的市民団体」の人たちにおだてられ,「懺悔のヒロイン」に祭り上げられちゃったんでしょう。
ある意味で,池田さんも犠牲者だと思います。