犬鍋のヨロマル漫談

ヨロマルとは韓国語で諸言語の意。日本語、韓国語、英語、ロシア語などの言葉と酒・食・歴史にまつわるエッセー。

コーヒーの話②~歴史

2024-07-30 20:55:42 | 日々の暮らし(2021.2~)

写真:上島珈琲店ホームページより

 コーヒーの歴史については、いくつかのコーヒー屋さんのホームページに解説があります。

 それらを総合すると…

・コーヒーの木の起源はエチオピアらしい(野生種が自生している)。

コーヒーの語源は、エチオピア西部のカッファ(=KAFFA)という地名。

もともとエチオピアでは、コーヒーの種を煮て食べていたが、9世紀にアラビア半島で乾燥させたコーヒー豆をすりつぶして煮出し、飲用するようになる。

13世紀には、コーヒー豆を焙煎するようになる。

15世紀に、中東のイエメンでコーヒーが栽培されるようになる。

16世紀、コーヒーはオスマン帝国に広まり、イスタンブールにコーヒーハウスが誕生。

17世紀半ばにイギリス、17世紀後半にフランスにコーヒーハウスが開業。オーストリア、ドイツ、イタリアなどヨーロッパ諸国以外に、アメリカにも広がった。

17世紀後半、オランダは植民地インドネシアのジャワ島でコーヒー栽培に成功、スマトラ島、スラウェシ島などでも栽培は拡大。

18世紀前半、フランスはカリブ海のマルティニーク島でコーヒー栽培に成功。ジャマイカ、ドミニカに、キューバ、コスタリカ、エルサルバドルに拡大。

別ルートで南米のブラジル、ペルー、パラグアイ、メキシコ、コロンビアなどにも伝わり、大量に栽培されるようになる。

18世紀後半には、イギリスの植民地だったアメリカで「ボストン茶会事件」が発生して、紅茶の価格が高騰。アメリカ独立後は、カリブ海地域、南米のブラジルから大量のコーヒーが流入して、一気に普及した。

19世紀末には、東アフリカ地域に持ち込まれ、イギリス植民地下のケニアが有数の産地になる。

日本にコーヒーが伝わったのは、江戸時代の18世紀後半。長崎の出島に、オランダの商人が持ち込んだ。

明治時代になると、西洋料理店のメニューにコーヒーが加えられる。

1888年には、鄭永慶(てい・えいけい、中国っぽい名前だが日本人。鄭成功の末裔らしい)が東京に「可否茶館(こーひーさかん)」という喫茶店をオープンしたが、3年足らずで閉鎖。

明治時代に多くの日本人がブラジルに移民し、コーヒー農園で働いた。ブラジル政府はブラジル産コーヒー豆を日本に無償で供与、それを利用してコーヒーが安価で提供され、コーヒーの普及に寄与した。


 面白いのは、「インスタントコーヒー」の発明者が日本人だったらしいこと。

 1899年、加藤サルトリ博士は、コーヒーを一度液化してから、真空蒸発缶に入れて水分を除去し粉末にするという、真空乾燥法に成功し、インスタントコーヒーを発明。

 しかし、日本にはインスタントコーヒーの販路がなく、アメリカのパンアメリカ博覧会に製品を出品・販売したそうですが、サルトリ博士は特許をとらなかった。1903年に別の方法でインスタントコーヒーを作ったアメリカ人が特許をとり、「幻の発明者」になってしまったんだそうです。

 インスタントコーヒーはその後、アメリカで「軍事用」に生産され、第二次世界大戦後に一般に広がったとのこと。

 日本では1937年にコーヒー輸入量がピークをつけましたが、戦争期に突入し、コーヒーは輸入禁止に。

 戦後、1950年にコーヒー輸入が解禁、1961年にインスタントコーヒーの製造販売が自由化、1969年には上島珈琲から世界最初の缶コーヒーが発売されたそうです。


2022年のコーヒー生産国別ランキング(構成比、2024年発表)


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