東京出張の夜、久しぶりに高田馬場のミャンマー料理屋に行きました。
先客は一人だけ。店の主人とミャンマー語でしゃべっていました。
プーディージョー(夕顔の実の揚物)をつまみに2本目のビールに突入したとき、話しかけてみました。
「出身はミャンマーのどちらですか」
「ヤンゴンです」
「今、水害がひどいみたいですね」
「ヤンゴンは大丈夫ですよ。北のほうがひどいね」
「日本は長いんですか」
「96年に来たから、もうすぐ20年です」
「どうりで日本語がうまいですね」
「奥さん日本人だしね。でも漢字は読めないよ」
1988年の民主化弾圧のあと、大学が閉鎖されたり、就学年数が短縮されたりして、ミャンマーの学生たちはたびたび反政府デモを行いましたが、彼も大学2年のときにデモに参加。弾圧されたので、日本にやってきたとのこと。
「父は軍人でね、ぼくが民主化運動に関わったんで、大喧嘩になった。でも日本に来るためのお金は出してくれたよ」
「仕事は何ですか」
「レストランやってる。大学は工学部だったけどね、日本で生きていくには飲食店しかないから」
名刺交換してみると、お店は六本木。
「娘が今、六本木で働いているんですよ」
「最近、二店目を出したんだ。武蔵小杉に」
「へえ、娘は武蔵小杉の近くに住んでるんです。偶然ですね」
二人いる子どもの下の子は、インターナショナルスクールに通わせているというから、レストランは成功したようです。
ここで名刺をよく見ると、レストランはミャンマー料理ではなくて、ベトナム料理でした。
「なんでまた、ベトナム料理なんですか?」
「うーん、それには深いわけがあってね。話せば長いんだけど」
「ぼくはベトナム料理より、タイ料理やミャンマー料理のほうが好きだけどなあ」
「でも、ヘルシーなイメージがあって、女の子には人気だよ」
「もしよかったら、もう一軒行きませんか」
なぜベトナム料理なのかを聞こうと思って誘いましたが、二軒目のカウンターバーではそこにいる女の子と盛り上がっちゃって、結局、聞くことができませんでした。
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