昨年スウェーデン人と結婚した四女が、結婚祝いに、ペアのマグカップをもらったそうです。一つは赤、もう一つは青。
すると夫が娘に聞いたそうな。
「どっちがいい?」
その話を聞いた私は不思議に思いました。
「当然、赤は女で、青は男でしょう?」
「スウェーデンはそういう決めつけはしないみたい」
「ふーん」
夫婦が家に遊びに来た時、夫に聞いてみました。
「人生ゲーム知ってる?」
「知ってます。スウェーデンにもあります」
「最初に車を決めるでしょう? 男の子は青で、女の子は赤を選ぶんじゃない?」
「そうですね。でも、青が好きな女の子もいるし、赤が好きな男の子もいるんじゃないですか」
「ふーん」
「まあ、洋服なんかだと、ピンクが好きな男の子はちょっと変かも」
私も子どもの頃に人生ゲームをやりましたが、男の子に人気のある車の色は断然、青。その次が緑。赤、オレンジ色、黄色は女っぽいと言って、嫌がりました。
小学校1年生のとき、「溶連菌感染症」という病気にかかって、都立病院の小児病棟に入院したことがあります。病気とはいっても、別に症状はなく、大部屋の子どもたちとテレビのゲゲゲの鬼太郎を観たり、ゲームをしたりして時間をつぶしていました。
人生ゲームを持ち込んだ子どももいました。
車を決めるとき、問題になるのが誰が何色をとるか、ということ。
女の子がいればその子が赤で決まりなのですが、全員男の子だったりすると、けんかになります。
そこで大人が仲裁に入って、
「〇〇くん、赤でいいかなあ?」
などと言って、赤の子を決めようとします。
(ほんとは別の色がいいんだけど、しかたがないか)
たいていの子はこういわれてあきらめるのですが、ある3年生の男の子は、
「うん、ぼくは青でいいよ」
と言って、さりげなく青をとっていきました。
(赤でいいか?って聞いたのに…)
ぼくは(なんかだまされたみたいだなあ)と思いましたが、そこは小学校1年生、理由はよくわかりませんでした。
今考えると、「青でいい」の「で」は譲歩の助詞。ほかの色がもっといいんだけど、青でがまんする、というニュアンスが込められています。
~でいい
その男の子、青がいちばんいいくせに、まるで我慢しているかのように振舞いつつ、まんまといちばんいいものを手に入れていたわけです。
言語感覚が優れていたんでしょう。
正直言って、人生ゲームは小学校1年生には難しすぎました。
「株を買う」
は、八百屋でカブを買うんだと思っていましたし、「かつらを買う」などというところでは大笑いしました。
「人生の分かれ道」で、億万長者になるか、貧乏農場で働くか、などと言われても、ピンときませんでした。
まあ、双六とか回り将棋の一種として、楽しんでいましたが。
すると夫が娘に聞いたそうな。
「どっちがいい?」
その話を聞いた私は不思議に思いました。
「当然、赤は女で、青は男でしょう?」
「スウェーデンはそういう決めつけはしないみたい」
「ふーん」
夫婦が家に遊びに来た時、夫に聞いてみました。
「人生ゲーム知ってる?」
「知ってます。スウェーデンにもあります」
「最初に車を決めるでしょう? 男の子は青で、女の子は赤を選ぶんじゃない?」
「そうですね。でも、青が好きな女の子もいるし、赤が好きな男の子もいるんじゃないですか」
「ふーん」
「まあ、洋服なんかだと、ピンクが好きな男の子はちょっと変かも」
私も子どもの頃に人生ゲームをやりましたが、男の子に人気のある車の色は断然、青。その次が緑。赤、オレンジ色、黄色は女っぽいと言って、嫌がりました。
小学校1年生のとき、「溶連菌感染症」という病気にかかって、都立病院の小児病棟に入院したことがあります。病気とはいっても、別に症状はなく、大部屋の子どもたちとテレビのゲゲゲの鬼太郎を観たり、ゲームをしたりして時間をつぶしていました。
人生ゲームを持ち込んだ子どももいました。
車を決めるとき、問題になるのが誰が何色をとるか、ということ。
女の子がいればその子が赤で決まりなのですが、全員男の子だったりすると、けんかになります。
そこで大人が仲裁に入って、
「〇〇くん、赤でいいかなあ?」
などと言って、赤の子を決めようとします。
(ほんとは別の色がいいんだけど、しかたがないか)
たいていの子はこういわれてあきらめるのですが、ある3年生の男の子は、
「うん、ぼくは青でいいよ」
と言って、さりげなく青をとっていきました。
(赤でいいか?って聞いたのに…)
ぼくは(なんかだまされたみたいだなあ)と思いましたが、そこは小学校1年生、理由はよくわかりませんでした。
今考えると、「青でいい」の「で」は譲歩の助詞。ほかの色がもっといいんだけど、青でがまんする、というニュアンスが込められています。
~でいい
その男の子、青がいちばんいいくせに、まるで我慢しているかのように振舞いつつ、まんまといちばんいいものを手に入れていたわけです。
言語感覚が優れていたんでしょう。
正直言って、人生ゲームは小学校1年生には難しすぎました。
「株を買う」
は、八百屋でカブを買うんだと思っていましたし、「かつらを買う」などというところでは大笑いしました。
「人生の分かれ道」で、億万長者になるか、貧乏農場で働くか、などと言われても、ピンときませんでした。
まあ、双六とか回り将棋の一種として、楽しんでいましたが。
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