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ヴォージュ広場6番地




パリの朝。

ほぼ四角形の、レースで縁取られたハンカチーフのようなヴォージュ広場の一つの角にある、ヴィクトル・ユーゴーの家(現在は彼の記念館、常設展は無料)には、気軽な朝ごはんにもよいカフェがある。

まあ、ヴォージュ広場には、ホテルのを含め、機嫌が良くなるカフェが他にもたくさんあるのだが。

ホテルから直で行けばいいものを、美しい広場と周辺の建物を眺めつつ、うろうろし始めたらなかなかたどりつけない...




ヴォージュ広場は、17世紀にアンリ4世によって造成された。
王室による都市計画の最初のひとつであったという。

この広場が当時斬新だったのは、広場をレースのように縁取る建物のファサードがすべて同じデザインで建てられたことだ。
美しい。




ポンポン・ダリアか。
秋の朝、ブルーグレーの空に鮮やか。




さて、ヴィクトル・ユーゴーの記念館には、彼の「亡命前」「亡命中」「亡命以前」の暮らしの一部が再現されている。

英ガーンジー島で亡命中に暮らした家のサロン「中国のサロン」の装飾は彼自身の手により、作家の多才さがうかがわれる。


シノワズリー(中国趣味)は、18世紀、ルイ15世時代の宮廷と貴族社会で流行し、磁器・漆器(セーヴル釜が開かれたのもこの頃)など中国からの輸入品が富裕層のステイタス・シンボルになった。

中国は長い歴史を持つ「理想的な文明国家」としてヨーロッパに紹介され、ヴォルテールやモンテスキューなどの啓蒙思想家は、中国の政治制度や道徳観を称賛したのだった。

ロココ様式と絶妙に融合した装飾スタイル、いいなー。わたしも大好き。




ユーゴーの時代19世紀のシノワズリーは、パリ博覧会や植民地拡大を背景に再び人気を集めたといえよう。
ジャポニズム(日本趣味)が流行したのもこの時期である。

パリのジャポニズムは、今でもシックの最先端だ。

ナポレオン3世の復古王政時代の東洋趣味は、エキゾチシズムやロマン主義の影響を受け、東洋文化への憧れとして芸術や建築に広範に取り入れられた。
パリのオペラ座やムーラン・ルージュ、リモージュの磁器にもその影響が見られる。


パネルの人物はどれも優雅でコミカルで、ひとつひとつ見ていて飽きない。

わたしが好きなのは小舟で眠る人や天使...




やっとカフェに到着。

そういえば、前回写真を載せた教会で、『レ・ミゼラブル』のコゼットは結婚したのだった...
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