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Brugge Style
民族衣装
ドバイで、あるパーティーの招待状にはドレスコードとしてこう記されてあった。
「フォーマル。あるいは民族衣装」と。
アラブの男性は一様に、純白のばりっとしたカンドーラをまとい、同じく純白のゴトラを漆黒のアガルで固定している。
これがまたアラブの男性の容姿を五割増で麗しく見せるようできているわけですな。
シーク教徒はターバン、計ったかのように刈ったヒゲ。
これ以外にはどんな装飾物もあり得ないと思えるほどの完璧な装いである。どの方もマハラジャに見えます。
迎え撃つ西洋男子はタキシード。
でもまあ、ルパート・エヴェレットかジェイムス・フォックスのレベルか、あるいはどこかの王子様レベルか、またはジェイムス・ボンドその人でないとタキシード姿も純白カンドーラ軍団には見劣りするのである。なぜならアラブ人らはカンドーラを日常にも着ているのだから、その着こなしの熟れ方にかなうはずがない。
馬子に衣装を着せても胡麻かせはしない「何か」に魅力は宿っているのである。
日本の方、と思われる男性も何人かお見かけしたが、ここはやはり、紋付羽織袴で出るべきです、と強く思った。
揶揄しているのではなく、わたしは真剣だ。
例えば紋付ではないが、能楽で地唄や囃子を構成する男性や、弓道や剣道をすなる男性を思い浮かべて頂ければ好都合だ。彼らは曰く言いがたい存在感、つまりオーラを放っている。
日本人は「ラスト・サムライ」スピリットを継承する精神的に高貴な人々、というイメージは外国人の間にあきれるほど根強く残っていて(いや、だから、例えばウィリアム・ウォレスのような人物像を期待されても現代のスコットランド人は困るわけでしょ?とわたしがいくら掻き口説いても美しい誤解を完全に晴らすことはできなかった)、ビジネス戦略上、そういう良きイメージは利用できると思うのだ。
あ、サムライはそんな姑息な真似をしないのか...
ナショナリズムなど難しいことになるのかもしれないが、単に耽美的な楽しみのために男性の民族衣装は復活させるべきなのである。
夫は「じゃあベルギー男子はフライドポテトの着ぐるみに決まりですね」と言った。そのオヤジギャグも悲しいが、自虐も悲しいよ、君。(彼の本心は銀の西洋鎧を着ることだが、戦闘を始めてどうする・笑)
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