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Brugge Style
「ベニスに死す」とドーナツの穴の話
イタリア北東部とスロヴェニアに旅をしてきた。
最初に降り立ったのはヴェネツィアだ。
娘はヴェネツィアが初めてで、出発前には半ば強制的に映画「ベニスに死す」を見せた。
一緒にヴェネツィア旅行をする仲間が「ベニスに死す」を知らないというのはありえない!
と思ったのだ。
娘は、昔の名画は一般に出来がいいのは認めるが、とにかくテンポが遅すぎる作品が多い、それが当時の時間の流れそのものだったとしても!
という感想を持っている。
そして見る前に必ず聞いてくる。
「どういう映画なの?」と。
一般化も批判もするつもりはないが、最近、人は、「答えになかなか届かないゆっくりした時間の流れ」などへの耐性が薄れてきているかもしれない。
話を元に戻す。
「同性愛映画だと単純に片付けたい人もいるけれど(ウィキペディア日本版にもそう書いてある)、わたしは全くそうは思いませんね。
完璧な美の探求に精神的に追い込まれた芸術家が、ついに究極の美に出会って幸福の中ですすんで命を落とす話だと思います。
それから価値はドーナツの穴であるという話ですよ」と、わたし。
この映画はアポロ的完璧な美とディオニソス的な美との対比が秀逸だ、と言われる。
どういう意味か。
アシェンバッハは完璧な美が、決してピンで一箇所一点に止められるものではなく、常に自分の指の間からこぼれ落ちるものだということを「少年期といういう移ろいゆく美」を目にして気づいた。しかしそれをどうしても一点に止めようとしたら自分が死ぬしかない。
価値はそれ自体では存在できない。アポロの美はディオニソス的なものとの対比によってのみ浮かび上がってくるもの、「欠けているもの」そのもので(サルトルもそう言ってるやん。ドーナツとは言ってないけど)、ドーナツの穴だけを追い求めて永遠の一点に止めようとしたアッシェンバッハは(喜んで)死ぬしかなかったのである。
......
9月にかけてシチリア旅行に出る前は、もちろん「山猫」を見せるつもりだ。
前回訪れた時、彼女はまだ7歳だったので。
娘、3時間ものあの映画、特に舞踏会のシーンに耐えられるかしらん。
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