goo

書院造は白鷺 紅葉の燃える赤 桂離宮




「ここに繰りひろげられている美は理解を絶する美、すなわち偉大な芸術のもつ美である。すぐれた芸術品に接するとき、涙はおのずから眼に溢れる」




ブルーノ・タウトがこう述べたことから、桂離宮は「日本の美」の極みとなった。

桂離宮が「日本の美」を象徴する存在として広く認識されるきっかけを作ったのが彼なのである。

西洋の視点から、日本の「伝統的な」建築と美意識に価値を与え、大きな影響を与えた功績は大きい。




タウトが訪日した1933年当時、日本は急速な近代化を迎えており、伝統文化は置き去りにされ、顧みられなくなっていた。

しかし、西洋の著名な建築家であった彼が、桂離宮を「芸術の極み」として絶賛、日本人は自国の美意識や文化の価値を逆輸入するかたちで再確認したのである。

特に、桂離宮の簡素な機能美、自然との調和を重んじた美は、タウトの言葉を通じて「モダンデザインの理想」「モダニズムの先駆け」として評価され、日本の伝統文化は世界的に注目を集め、日本人にとっては誇りとして再認識されるようになった。

わたしも今回はすばらしい英語ガイドさんのグループで観覧したが、日本人として鼻が高くてしょうがなかったですよ...




桂離宮は単なる建築物を超えた日本文化の象徴的存在なのである。

しかも季節は1ヶ月遅れ、普段は11月に盛りとなる紅葉が12月の頭のこの時期に...




日本の「見立ての美」、小宇宙としての建築。

ヨーロッパでは17世紀といえば壮麗で過剰でドラマティックな、ゴテゴテと飾ったバロック様式、彼らの「宇宙」とは対極にある美。

「桂離宮」が伝統的な日本美の象徴となった背景には、単なる芸術的評価だけでなく、近代日本がアイデンティティを確立し、国際社会での文化的地位を高めるための政治的・文化的な意図が深く関わっていたと言えるものの、これがアイデンティティならわたしは個人的にも喜んで引き受けたい。もちろん背景を知ることは重要だが。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )
« あるかなの湯...