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Brugge Style
libraries by massimo listri
清水の舞台から飛び降りて、ずっと欲しかった写真集を買ってしまった(夫が)。
とても好みの写真集をいくつも出版している写真家Massimo Listri によるLibraries。
西洋の最も美しい図書館を編集したもの。
装丁までとてつもなく美しい。スピン(しおりひも)まで美しい。
「図書室」をもって家が完成する、という諺が英語にあったと思うが、この本に載っているどの「最も美しい」図書館も宮殿のように豪華なのは、本が美術品などと同じ価値を持つからである。
つまりヴェブレン風に、図書の蒐集、美しい装丁、図書館の建設が「顕示的消費」に他ならないからだ。
知りたい、解き明かしたい、知識を系統だててすべて集めたいという欲は人間の基本的な強い欲求だが、これらの美しい図書館に見られるのは知識欲というよりは、
「人々の尊敬を勝ちとり、保持するためには、たんに富や力を所有しているだけでは十分ではない。富や力は、証拠を持って示される必要がある。」(ソースティン・ヴェブレン『有閑階級の理論』P49)の方だろう。
「もはや彼は、たんに成功した攻撃的な男-すなわち、力と富と蛮勇を持つ男-では不十分である。頭が足りないと思われないためには、眼識(テイスツ)を養わなければならない。というのは、消費財のなかで、高貴なものから劣ったものまでかなり微妙な区別を行うことが、いまや彼の責務になってくるからである。」(同上P88)
美しい図書館を持つことは、チャールズ一世が己を誇示するためにあちこちから買い集めて作り上げた美術品コレクションや、肖像画にアトリビュートが描かれるようなものなのだ。
中には例えばフランス革命期の政治家だったタレーランは読書家であったのみならず、美しい装丁の本を愛し、大図書館を作ったそうで、そういった幸福な図書館もあるのだろうが。
一方、失われてしまった図書館、想像上の図書館というのも大変魅力的だ。
古くはアッシリアのアッシュールバニパルの図書館、
古代三大図書館のアレクサンドリア図書館(エジプト)、ペルガモン図書館(トルコ)、ケルスス図書館(トルコ)。
長らく文化の中心地だったイスラムのアッバース朝、知恵の館とか。
東には秦の始皇帝の焚書坑儒というからには巻物が積まれたような文書館があったのだろうし、項羽が焼いたという文書館や、「洛陽の紙価を高からしむ」(漢)という古事成語からは多くの書が流布していた様子が想像できる。
想像上では、
ボルフェスの図書館、
薔薇の名前の迷宮図書館。
がとても壮大でロマンティックだ。
かつて存在したが、もう今は消えて忘れ去られてしまった知恵の集積というのは、無限であるという点でも相当魅力的である。
神の全知全能を探求する人類の知恵を集めた宇宙そのものような図書館、しかも神の全知を象徴させるにはもちろん美しくてはならない図書館を、これまた閉じ込めた本...何重にも入子状態になっているのをイメージするとうっとりする。
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