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Brugge Style
どこにもない故郷、神戸のはなし
決まった時にもウキウキで書いたが、この夏は20年ほどぶりに「夏の日本」へ一時帰国する。
訪問を予定している各地の電子図書版ガイドブックが半額になっていたので購入してみた。
金沢、新潟、伊勢、奈良などである。
日本のある種のガイドブック、楽天市場の画面のよう、情報盛り込みすぎ(見にくい!)
そのカラフルでキラキラした紙面に圧倒され、なかなか寝つけず...小学生か!
と、ある方の恩師にあたる方が、ブルージュを「欧州で一番好きな街」とおっしゃったご縁で、その方もブルージュを旅した...というお話を伺い、
以下のようなことを思った。
昨夜、購入したばかりのガイドブックを見ていて、あるいはわたしの故郷の神戸っぽさを思ってにやにやし、インスタグラムの中で「最も神戸っぽいアカウント」はどれだろうなどと取り留めのないことを考えていると、あそこに行ってあの風景を眺めて、以前そうだったように満たされた幸福な気持ちになりたい、と強烈に思う。
わたしに焼けるような懐かしさを感じさせたのは、例えばあるホテルから眺める夕暮れのポートタワーとメリケン波止場の広告写真だった。しかし、わたしはその比較的新しいホテルには行ったこともなく、そこからの眺めを懐かしいなどと思う筋合いはないのだ。
では、と、自分のアルバムの写真をあさってみる。しかし大量にある写真のそのどこにもわたしの思いの麗しさにマッチするような懐かしい光景はない。ただの一枚も。
頭の中にある神戸の唯一無二の雰囲気や、日本の平凡な夕暮れの美しすぎるイメージはたしかにはっきりと「ある」のだが、それを再び体験しようと誌面やネット、そして現実の場に立ってみても、探し歩いても、それらはどこにもないのである。
それでもわたしは「夕暮れのポーアイ」を求めてそこに行ってみるだろう。行ったら行ったで、え? これじゃない...と思うのだ。必ず。それは震災のせいでもない。
それはどこにもない場所なのだ。それは場所ではなく、時間なのだ。
そういう自分だけの所有感と、同時に起こる喪失感を抱いて、「日本の夏」を体験し直したいと思っている。
まあそういう所有感・喪失感はたくさんあるほうが豊かな人生かなとも思うので...
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