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もうひとつの愛 onegin




ロンドンはロイヤル・バレエで公演中のOnegin

Marianela Nunez(以下マリアネラ)が主演する3回目が、全体的に特筆すべきな完成度だったと感じたので自分のためのメモとして書いておきたい。


バレエはいつも「人間は極限でどんな行動をとるのか」「人間とは何か」について物語る...


『オネーギン』はプーシキンの『エフゲニー・オネーギン』を原作にしたJohn Cranko の作品だ。

主人公のオネーギンは、自分自身の葛藤、無力感、虚無感、閉塞感、イライラ(これは同時に当時の帝政ロシアの社会状況の反映でもある)のために、純情なタチアナの若く情熱的な愛を愚弄して拒絶する。

一方で、タチアナはオネーギンに出会うまでは本の虫だったため、自分が理想化した恋愛を一方的にオネーギンに投影したと言えるだろう。

数年して再開し、オネーギンは、自分がタチアナを深く愛していることに気がつくが、彼女はすでにガーミン公の公爵夫人になっていた。


自分が捨てたものの価値を後になって理解する(これも当時のロシア社会の反映であろう)...という典型的な悲劇の構造を持ちつつ、愛や恋はそのままの形で存在するのではなく、関係性の結び目によって初めて成り立つということや、人間の、時間とともに変化する部分や、あるいは変わらない部分(<悲劇的だなあ)をしみじみ考えさせる。

特に、タチアナが結婚したガーミン公との、深い信頼と慈しみにあふれる、成熟した関係を表現する舞踏会のシーンが丁寧で繊細ですばらしかった。
お互いへの思いやりに根ざした穏やかで優しい関係の象徴である。しかもどこか物悲しい。

1幕目の有名な「鏡のパ・ド・ドゥ」は、タチアナの独りよがりな夢想から生まれる幻想であるのに見事に呼応している。


多くの人がこういった2種類(以上の)恋愛を経験しているはずだ。


ほんとうにすばらしい。
わたくしのマリアネラはいつもいつも最高である。
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